2013年3月13日(水)
「発達障害の心情なんてどこまでいっても決して理解されることはない」
ちょっとシビアに物事を考えることのできる皆さまなら、大概こういうふうに思われていると、私あわほは思います。
もっとも今の世の中、教育や就労に関して発達障害者に対する支援やサポートが充実してきている事自体は、確かにいい風潮だとは思う。
ことに就労支援がないと、多くの発達障害者が職にあぶれるという深刻な事態が生ずるので、現実的かつ有効な社会福祉はある程度必要。
しかしながら、
社会的な理解を今よりもいっそう求めてばかりいる親御さん及び当事者の態度には、私個人としては相当うんざりし、苛立ちすら感じてしまいます。
だって、重度な発達障害脳を持っている人なんて私に言わせれば、30人中1人ぐらいの凄く少ない確率でありますから(注、一般的には30人中2~3人そのような人はいると言われているけど、それは後々問題が少なくなる軽度発達障害者を含めての数だと私は思います)
つまり発達障害脳を持って生まれただけで、全人類の中では超マイノリティ。
おまけに脳が定型と違えば、感覚的なものや認知の仕方も定型脳とは随分と異なってしまうため、ますます定型社会からは隔離されてしまいます。
それゆえに発達障害者は、デカイ成功を収めたり或いはほよど運がついてない限り、世界中のどこの国に生まれて生活しようとも、イジメられたり慢性的にツマハジキに遭うという、嫌な思いばかりする運命にあります。
人類の歴史や政治をちょっと振り返っただけでも、いかに少数派の人たちが孤立したり虐げられたりしてきたのかは、小学生でも知識として知っているところであります。
「少数派の意見はいつの世でも常に無視される」
この一文は、古代ローマの歴史を主なテーマとして扱う作家の塩野七生が、文中でよく使用する常套句であります。
「ワタシは変わり者で学校で強烈なイジメに遭ってきたから、今でも誰一人としてワタシのことは理解出来ないと思うの。過去にイジメッ子からゴミ箱にぶちこまれ、そんなワタシの姿を見て男女ともゲラゲラ笑っていたわ。トイレに閉じ込められ、上から水をぶっかけられたこともあったわよ」
このような過去のイジメ被害の告白(注・あわほ要約)をしたのは、今をときめく世界的歌姫のレディ・ガガ様であります。
このようにべつに発達障害でもなくても、少数派である限り人は、無視されたりイジメられたり攻撃されたりする運命にあるのです。
あの超ネガティブ変人哲学者の中島義道氏も、「自分の意見や感覚が他の人とは違うため、今まで人から散々攻撃されまくり、人格がひん曲がってしまった」ってな事を、狂人三歩手前(新潮文庫)で面白可笑しく嘆いております。
また、中島氏の多数派の少数派を叩きつぶす執拗なまでのしつこさの描写も、真に迫る迫力があります。
であるからして、超マイノリティである我々発達障害者や、たとえ定型であっても人から理解されづらい人は、「人から理解されないことを前提に生きて行く」しかないのです。
それでいて、多数派からの攻撃や仕打ちをいかにして、かわしたり、和らげたり、これ以上攻撃されないために敵を威嚇するのかを、日々思考錯誤しながら生きていけば、それでいいと思います。
ともあれ、「理解を過剰に期待にする人たちに対する苛立ち」を、あわほ同様お持ちの方は、意思表明をすべく、ここでぽちっと!行きましょう。
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