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発達障害あわほの日記

発達障害である"あわほ"が、日々の思いや過去の出来事から考えたことをつづります。同居人であるオカメインコ♂の"のぶりん"も時々登場します。 当ブログはリンクフリーです。

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うちの両親の衝動的恋愛婚の悲惨な結末 その2

引き続き、何も考えずに衝動的恋愛結婚をしてしまった、うちの両親の話です。
前回は結婚して二年間の話で、今回は私が誕生してから幼稚園児半ばになるまでの、約5年間の話をしたいと思います。

その当時の主な出来事は以下の通り、
1、両親共働きのため、赤ん坊だった私を母方の祖父母に預けた。
2、父が、私が3歳から5歳になるまでの約2年間ほど、単身赴任になった。
3、私とは腹違いの兄(11歳年上)に引き続き、その姉(14歳年上で、大学受験を控えていた)と、家族が同居するようになった。
4、姉が私学の四大に合格し、うちの母が、入学金、学費等の諸経費(定期代、小遣いを含む。但し、小遣いの一部は姉の奨学金で姉の自腹)を全額支払った。
5、母が、祖父母の近くのマンションを(40年ローン付き)を衝動買いした。

その後、各事例ごとに深刻なトラブルを引き起こすこととなるわけですが、今回は事例1、2の話です。

まず、1、について、
私には3歳までの記憶が全く残っていません。気づくと私は3歳で、普段は昔ながらの木造2階建ての祖父母の家の1階の1室で、ごろごろと1日中寝転がっていました。何ひとつとしてすることがなかったので、1日中長々と天井の木目やケース入りの人形を、おしゃぶりをしたりガーゼの切れ端をしゃぶったりしながら、ぼうっと眺めていました。まあ、お腹がすくと冷蔵庫から乳酸飲料を勝手に取り出し、親指を突っ込んで飲むという感じで・・・・・。
ちょっと寂しいと感じたのは、祖母が腰を痛めていたせいもあり、私とは別の部屋で本を読んだりして過ごしていたこと。(ちなみに祖父は、文房具兼駄菓子屋の店番をしていました)また、近所にも他の所にも遊び相手がいなかったので、祖母と夕方に買い物に行くのが私にとって、唯一の楽しみでした。
そんな私は当時祖母のことが大好きで、週末にやってくる母は、自分の領域を侵す超不快な敵でありました。
母の発する化粧まじりの体臭、声、体つき、ルックスに異常なほどの嫌悪感を覚え、彼女の存在それ自体が私にとって脅威でした。(今日も、それは同じ)
それに加え、母は超無神経女だったのです。
当時の私を特にいらつかせた原因は、以下の通り。

A,私の寝ているそばで、長時間にわたって大嫌いな童謡のレコードをかけっぱなしで、そのまま放置する。

B,扉をひとつ隔てた部屋で、長時間大声で、祖母相手に喋りまくる。(時間帯なんかお構いなしで、例のレコードもかかっている)

C,食事の時は、猫が餌を食すかのように口に皿に近づけ、口の中を見せながら物を咀嚼する

D、私の指を年の数になるように握り、「あわほちゃんは、3歳」などと、まぬけで耳障りな声を発し、引き続き、「お母さんのかわいい、あわほちゃんがねえ、おぎゃあ、おぎゃあ、と泣いています」という、幼稚極まれりな自作の歌を繰り返し歌う。(この行為は小学生になってからも続き、自閉度を加速する結果となる)

E,祖父母宅の2階の1室に母の荷物部屋(ごみだめ部屋)があり、そこへ私を連行し、片っ端から大量の衣類を大量のゴミ袋に無造作に詰め込む様を随時見せつける

F,土日に人が泣いているのにも関わらず、無理やりアパートに連れ戻し、両親が裸で寝そべっている間に私をサンドイッチのように挟み込み、そのうえ泣き止まない私に対してヒステリー声をあげる。

G,完全に不適応になっている保育園(のちに、祖母の意向により中退)に、ヒステリー声をあげながら人を連行する。

まあ母と私との関連性はだいたいこんな感じでした。(事例1について)

さて次は、事例2、父が私が3歳の時から2年間ほど単身赴任になった、という話に移りたいと思います。

まず父は、母と結婚するために知人の紹介で関西の会社に転職しました。その時、会社から社宅を提供されたのですが、父、母、どちらの会社からも2時間以上もかかる辺鄙な場所にある2部屋部屋しかない木造のボロアパートでした。そのアパートでは、当時父母が同じ部屋を共有(その部屋には酒瓶が無数に置かれてあった)し、兄が1人部屋でした。途中からは、兄の部屋には受験を控えた姉も同居することとなりました。(私は、土日のみ帰宅)

父は結婚当初から家にお金を殆どいれないのですが、単身赴任でさらにそれが悪化しました。

家族の縛りが無くなると、父はもうやりたい放題。ギャンブル、衣装代、外食費(父はグルメ)は言うまでもなく、飲み代もエスカレート(居酒屋スナックを毎日のようにはしご)しかも、父は非常に虚栄心が強く人に奢るのも大好き。
 
おまけに、ブス専の父にしては珍しく、美人で、頭がよく、謙虚で、性格もいい、愛人がいたそうです。(その愛人には一銭も財布の紐を解かせなかったらしい)

そんな父の年収は平均以下で、しかも、5才年下の母よりもかなり下でした。

だから、家族にかかる生活費は全て母持ちでした。

しかし虚栄心もプライドも異常なほど高い父は、私に、「生活費は全てあのクソバ○アに持っていかれた!」と、今でもほざくのです。

父の言い分によりますと、赴任中、自分は銀行のカードしか持っていなくて、手帳の方をもっている母に、給料が入ると全額むしりとられたのこと。
そのことを母に尋ねると、当時自分の給料だけでやっていけたので、人の金は一切あてにしていなかったし、それに父は給料日にカードで、われ先にと引き出していたらしいのです。
私はこのことに関しては、母の言い分の方が正しいと思っております。
というのは、父の給料が安いのに浪費壁があるのは、言うに及ばず。おまけに父は、当時の放蕩ぶりを愛人のことも含めて、私に事あるごとに自慢するのです。

で、当時の私の父に関する記憶といえば、中年太りでブクブクしているお腹で、裸の母の横に横たわっていること(父の赴任先のアパートでもその光景を目にするのは当たり前であった)、パンチパーマをあてていたこと、母と一緒に私を保育園に強制連行すること、あと酒臭かったこと、ぐらいです。

もっとも父がいうには、当時母も得意先の顧客と浮気していたとのことです。何か証拠でもあるの?と、尋ねますと、父は私に「身体にきいてやった」と、誇らしげにのたまうのです。

次回は、残りの事例3、4、5、について書き進めたいと思います。

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失礼を承知で書きますが・・・・

両親もその気がかなり強いですね・・・・・

Re:失礼を承知で書きますが・・・・

>オイヨオイヨ様
私もホントそう思います(苦笑)

  • あわほ
  • 2012/10/26(Fri.)

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