2012年9月2日(日)
中編の続きです。
虚栄心が非常に強く、秀逸であるということに異常なほどこだわりがあるため、自分や自分の娘(私あわほ)の脳ミソの欠陥を全く認めようともしないバカで無神経な何とも救い難いうちの母。
そんな母の心の拠り所は、「自分の娘が反応性愛着障害に罹っているということ」
反応性愛着障害なんてのは私の場合「反応性愛着障害であるということ自体が私にとって生物的にも生理的にも自然な状態!」
まあエスカレートしてしまった背景には発達障害的な要素もある。
なのうちの母は、発達障害の本質を全くと言っていいほど無視し続け、「反応性愛着の症状のみを問題としたがる」のであります。
昔からことあるごとに(もしくは何もなくとも)うちの母は以下のようにヒステリックに喚き散らしていた。
「お父さんが家に金を入れずにポンポンポンポン金を使いまくるから、私は働かざるを得なかった!私はずっと自分の娘は自分の手で育てたかった!」(この後に延々とわけの分からぬ金切り声が家中どころか近所にも響き渡る!小学生のころ父と喧嘩したあとに母が留守電に吹き込んでいた長々としたこの手のヒステリックな喚き声は私を心底ぞっとさせた!)
このように「自分の手で自分の子を養育できなかったことに未練タラタラのうちの母!」(今でもずっとこの調子!)
けど私に言わせれば、「あんなキ○ガイ母親に四六時中べったりと付きっきりで面倒みられなくて心底助かったよ」である。(詳しくは「
のだめはエライ!」をクリック!)(尚、
生育歴についてはこちら)
そして、私は心底こう確信している。
「もしうちの母が外で働いていなくて赤ちゃんの時からずっと私の面倒を見続けていたら、私は間違いなく憎しみが今よりもっとエスカレートして、母親をぶっ殺して刑務所にぶち込まれていたであろう。でも不幸中の幸運!か平日は祖父母の元に預けられていたおかげで少しはまともな考えを持つことが出来た。「あんなヤツを殺して刑務所に入ったら、身体を何年にも渡って不当に拘束され続け、おまけに思想そのものが間違っていると刑務官に言われ続け、変えたくもない考えを無理矢理強制的に変えさせされてしまうのだからタマッタもんじゃない!それならどんなにヤツのことが憎くても殺さない方がまたずっとマシ!」だという考えを。
それでわたしの場合、母を尊敬できる唯一の点は「社会でまがりなりにもきちんと働き、お金を稼いでくれたこと!」 なので、もしうちの母が外で働いていなかったら、ヤツに対してどんな僅かな敬意すらも抱かれずに大人になってしまったことであろう。それを思うとホント心底怖い!と。
一方うちの母はそんな私の気持ちなどまるっきり無視で、理解の理の字すら及ばず、ひたすら今日でも「自分の娘は自分の手で育てたかった」とのたまうのでございます。
近年、子供が自分の母親を殺すという事件が増加傾向にありますが、ひとつの大きな要因は「私のように母親からねじ曲がった母性を押し付けられ続け、子供がそのねじ曲がったグロテスクな母性についに耐えきれなくなりパンクしてしまった!」ことだと個人的には思っております。
「母性!母性!母性!」だと世間サマも有名な専門家も口に揃えたかのように申しておりますが、「その弊害についてもっとちゃんと考えてほしい!むしろ無責任で無神経でバカな母親をいかにしてうまく子供から切り離すかを真剣かつ具体的に検討していった方が世のため人のため個人の幸せのためになるんじゃないの!」と思います。
おしまい。
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