2012年8月22日(水)
大津いじめ事件以来いじめ被害の話題で騒然としている今日このごろ。
お盆休みの最中、茨城でも悪質ないじめにより中学生がまたひとり自殺してしまったというのだから程度の差こそあれ、同じくいじめの被害に遭ってきたあわほとしてはいたたまれない気持ちでいっぱいになる。
いじめ被害による自殺で子供が自殺するケースというのは、「凶悪ないじめに遭っても親に全く気付いてもらえない、もしくはどんなに酷いいじめに遭っているとしてもプライドが邪魔をしていじめ被害を親に報告できない、あるいはかなり深刻ないじめがあると分かっていても親によって無理矢理学校に行かされ続けたケース」であると思われる。
でも、いじめの被害がそこまでく凶悪ではない場合、いじめられっ子たちはどういう反応をするだろうか?
まあいじめのような困った問題が起きれば即効親に報告できる環境下にあり、かつ親がきちんとした対応をしてくれると信用に足る場合は、おそらく親にいじめの被害を告白するであろう。
しか~し!そうではない場合いじめられっ子たちは、概して「いじめの問題を独りで抱え込んでしまう」ハメに陥ってしまうのである。
このように「いじめの問題を独りで抱え込んでしまった」場合においても、事後の社会適応が航平クンや中川翔子たんのように良好な場合と、人格障害や精神障害を起こしてしまいどうにもならなくなったケースに分かれてしまうのは一体どうしてだろうか?
あわほが社会適応が良好な彼(彼女)に関する記事を読んで思うに、「彼(彼女)たちはたとえ学校でのいじめについては親にうまく伝えることが出来なかったとしても、根本的な部分でちゃんと親から人格を肯定され守られている。もし仮に深刻な事態が起こってしまったのなら、そのときはちゃんと親は受け止めてくれ全力で守ってくれる」という、親に対する確固たる信頼心が存在する。
確かに彼(彼女)らは生まれもった才能+ルックスが大いに助けになった面もある。
だが彼(彼女)らにしてみたところで、「もし仮に人格を親に否定しまくられて育ち、いじめられるような人間は世間及び一家の恥だっ!」っていうような家庭環境にあったのなら、相当ヤバイことになっていたかもしれない。
ただごく例外的に大平光代弁護士(「だから、あなたも生きぬいて」の著者)みたいに、「腹切り自殺未遂をしても無理やり学校へ行かされたけど、何とか自力で生き延び社会的に成功した人物」もなかにはいるらしい。
それで大平光代タイプが好むのは、「ド根性で生き抜け!甘えるな!」といった超リア充チックな類の根性論である。
正直これって、生来的な気質がリア充とは違う人間には受け入れ難く、相性も滅茶苦茶悪い!
リア充とは違うタイプのいじめられっ子が、この手の根性論を真に受けてヘンに努力しようものなら、もともとの自分本来の気質との隔たりが大いに生じ、逆に自滅してしまう結果になってしまうことが多いのではないか。
そう考える私あわほは、ド根性による自力救済論に全く賛成できないのである。
結論的にいうと、いじめ被害を乗り越え以後の社会適応良好になるか否かは、「親の子供に対する人格肯定力に拠るところがやはり大きいのではないか」(注、発達障害者の場合はもっと事情が複雑に入り組んでいて一筋縄ではいかないのではあるが)
もっとも世の中には、「いじめ被害が生じたので、子供の不登校を容認したものの、以後の社会適応がとんでもなく不良かつ人格障害」というケースも多く見受けられる。
私あわほはいじめ被害に遭ったら、「無理して学校なんて行かずに不登校でも別にいいんじゃないか」という考えの持ち主である。(あわほは無理して学校へ行き続けたせいで、精神がズタボロになった)
しかしたとえ不登校措置を親が取ったとしても色々と問題が生じまくるケースは、「学校でイジメに遭ってしまう子供のことを親が恥ずかしいとか、みっともないとか強く思っているからではないか」(露骨に言葉にしてそう言わなくても親の態度でそうと分かってしまうケースを含む)
そんな思われ方を親からされると、家でも子供の居場所が無くなり、様々な問題が吹き荒れることになる。
かくいうあわほの両親も、「イジメられることはみっともない!生き恥だ!負け犬だ!」などという思い込みが凄まじく激しい奴らでありました。(たぶん現在進行形)
おしまい。
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