2012年9月8日(土)
まあ世の中の親というのは、「自分の子供が集団生活からツマハジキにされたらどうしょう、どうしょう」と、絶えず神経質になっている人が多いかのように見受けられます。(発達障害児の親なんかとくに)
事実、会社社会というのが学校生活の延長線上にあり、フリーランスの仕事をするにしても能力+コミニュケーション能力が求められる以上ご心配のほどもごもっとも。
かくいうあわほの母親は、強固な集団主義幻想の持ち主でありました。
うちの母親は新聞(これは仕事に関わることだったので)以外ろくすっぽ本なんか読まないくせに、チンケな児童育児書なるものを愛読してたそうな。
それで母親が愛読していたらしき1970年代後半の育児書の論調は、「集団生活にはできる限り早い時期から子供を馴染ませましょう!」(暗喩として「不登校・不適応許すマジ!」という意図が示唆されていうのは言うまでもない!)
そんなチンケな育児書に狂信的に囚われたうちの母親は、4歳児にして完全に保育園を不適応になっているあわほの気持ちなんか全くお構いなしに、朝早くから祖母の家にやって来てはヒステリックに喚き散らしながら、泣きじゃくるあわほを無理矢理保育園に連行するのでありました。
保育園はあわほにとってはもう地獄。
なんせ周りの状況も全く分からなければ、人のやっていることも全く分からない、他人の顔も全く見分けがつかない。担任には嫌われなじられてばかり、ぼっちで友達ナシ!
まあかような狂信的ヒステリー母でもまだ保育園は義務教育ではないから潰しが利くと思ったらしく、所持品の相次ぐ盗難被害(弁当箱ごと盗まれたのは幼児ながらさすがに引いた~!)に遭ったこともあり、半年ばかりで辞めさせてくれました。
その半年後に入園してそれから1年間お世話になった保育園は、拘束時間が短く担任もやさしい先生だったので、相変わらずぼっちで何もできなくても、たいした問題なく過ごせました。(べつに快適ではなかったけど)
しかしホッとしていたのも束の間。
小学校に入学したのを皮切りに高校を卒業するまでの間約12年間にも及んで、逃避不可能な慢性的な不適応・イジメ被害に悩ませられ続けました。
それでちょっとでもあわほが「学校へ行きたくない!」なんて言いだすと、母親は「嫌われ者!」「なんで学校では言い返すことひとつ出来へんのや!」「学校では弱いから○○の言いなりばかりになりやがって!」「この負け犬!」とヒステリックに罵りまくります。
それでも気が済まない場合は父親をけしかけて、思う存分暴力をふるわせました。(これほんとマジ!)
もっとも高校は寮生活だったので普段は嫌々ながらおとなしく寮生活を送るしか術はなかったのですが、実家に帰ると万事この調子。
さらにタチの悪いことに、ちょっとあわほが友達ができたなんてことを迂闊にも漏らしてしまうと、即その子の家へ両親共々菓子箱を持って参上しました。(ヤメテクレ~!そしてその子たちはまもなくあわほの元を去ることとなる(笑))
それでも小学校中学年のころ例外的にあわほのことを親友だと見做してくれる子が約1名いました。
しか~し!はっきり言ってうちの両親はその子のことが気に食わない。
その主だった理由は、「その子の母親が重度の幻覚症状持ちの精神分裂病(現・統合失調症)で、父親の方はワープアだという貧困家庭にあったこと」
またうちの両親も4・5・6と3年間すっとあわほの担任だった先公も、あわほが他の子と全く遊ばないのが極度に気に食わない。(注、他の子はあわほほとは絶対に遊んでくれない。なのに先公ときたら、通知簿にも再三に渡って「特定の友達以外は全く遊ぼうと努力しません!」てな事を書きやがる。普段のお小言&保護者懇談会は言うまでもない)
まあこのように完全な不適応児であるにも関わらず、両親からも先公からも集団主義幻想を押し付けられ精神も自己評価もズタズタ!
それで、より深刻でシリアスな被害はイジメや不適応とは少しずれた場所で露わとなる。
後編へ続く・・・・・。
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