2012年7月21日(土)
前回私は、古今東西男には「逸脱性」「独創性」が求められ、女には「秀逸性」「優越」が親や世間サマから求められている、そしてまた「秀逸性」「優越」の延長線上には、「誰からも好かれる女性」という究極的な目標があるというハナシをしました。
で、「私あわほはどうなのか?」というと、「秀逸性」「優越」とは真逆の、超ポンコツ女子!
かつ、「誰からでも好かれる女性」とは真逆の、誰からにでもチョー嫌われるババアという特技を持つスーパー嫌われ者女子!
さらに恋愛に関していえば、「美人」「モテ」とは真逆の、非美人・非モテ女子!
こんな私あわほの本質を昔から見抜いていた母方の祖母は、「うちの孫が非美人で能ナシでもべつにいいんじゃないか。そう生まれてきたんだから仕方ないんじゃないか」という冷静な目で私のことをみてくれていました。
なのでもし仮に、幼い頃の私が週末に両親の家に強制的に連れ戻されることなく、その後も一切両親と共に生活をしたり接触することもなく育っていれば、精神的にも人間的にももう少しまともな人間になっていたに違いありません。
だってうちの両親は、素質・才能のナッシングな私あわほを「秀逸で誰からも好かれる人間」にすることにもう必死!(その感情だけが先走って方法も何もかもが支離滅裂なのでこっちとしてはもうたまったもんじゃない!)
ルックスはどうしようもないので、無理にでも「自分の子は美人である!美人である!」と毎日毎日呪文を唱えまくるのにもう必死!(注、この表現は決して大げさではありません)
かような両親の努力の甲斐も虚しく私あわほは、「立派な鬱鬱ダメダメニート廃人」になってしまいました。
両親から受けた「自己否定感」はあまりにも強烈であり、また両親から虐待されつつ無理矢理通わされた学校ではず~っとイジメに遭い続けたので、これから先も自分の中にある「自己否定感」は一生癒えることはないでありましょう。
しか~し!私あわほオババは30年あまり生きてきた結果以下のように確信している。
「ホントに秀逸で誰からも好かれる女なんて世の中にゴクゴク僅かしかいない!」と。(まあ当たり前なのですが)
もっとも学校には「皆の人気者の女子」というのが、50人中1人か2人ぐらい存在します。
彼女たちは十中八九「美人で愛らしくて外見上は無難な性格で、教師からも女子からも男子からも好かれるタイプの女の子たち」であります。
しか~し!いざ大人になってフタを開けてみると、「そんなに大して得をしているかっての人気者女子というのはそんなに多くない!」のであります。
彼女たちは人生を歩んでいく過程において、まずどこかで勉強につまづいたり、仕事でつまづいたり、そして恋愛でつまづいたり、結婚でつまづいたり、転び方はもう多種多様(笑)
「皆の人気者の女子」という圧倒的優位に立っていた女子がこの有様なのですから、その他の女子は推して計るべし!(笑)
つまり私あわほが言いたいのは、
1、「皆の人気者の女子」と真逆の地位のある「皆の嫌われ者の偏屈女子」が、彼女たちを見習うのはそもそも能力的に無理がある。
2、そして彼女たち(「かっての皆の人気者の女子」)の中でも本当に得をしているのはゴクゴク僅かである。
3、両親から1、2、の本質を全く無視した「秀逸で誰からも好かれる女性」という幻想を押し付けられ過ぎると、私あわほみたいに人生も人格も破綻してしまうという最悪の結果になると。
結論.
「皆の嫌われ者の偏屈女子」をもつ親は、「それとは真逆の女性にする!」という無理難題を自分の娘に押し付けるのは、「百害あって一利なし!」というのを肝に銘ずるべきである。(無論ヘンに親に加勢しようとする周りの人間たちもな)
そして本当の意味で恐ろしいのは、「皆の嫌われ者の偏屈女子」であることよりも、親(ないし周囲の人間)が植え付ける「娘の人格否定」であると。
これこそが、娘たちを本当の意味で生きづらくしているのだから。
最後に私あわほオババのひと言.
「秀逸性」「画一性」「無難性」そして「お客さまから好かれることをモットー!」を売り物にしてきた日本経済は今や地の底!
この状況って、何だか「秀逸で誰からも好かれる女性教育を、経済レベルにおいても過剰に適用し過ぎてしまって方向転換できなくなったなれの果て!」って感じがしない?
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