2012年7月18日(水)
今から10年ほど前に「結婚の条件」というベストセラー本を生み出した小倉千加子はジェンダーの相違について、常々以下のような発言を繰り返している。
「男というのは、自分が他のヤツと比べていかに面白くて独創的な人間であるのかという点を褒め称えられることで、悦に入る」
かたや、「女というのは、自分が他の女と比べていかに美しくまたいかに優れているのかという点を褒め称えられることで、悦に入る」と。
要するに、古今東西男には「逸脱性」や「独創性」というものが求められ、女には「秀逸性」や「優越」というものが親や世間サマから求められているというハナシであります。
まあ強いて言えば男は社会的に成功すれば、どんなにブサ面で偏屈野郎でもかえってそれが持ち味となり、スゴ~ク美人なイイ女をゲットできまた望もうものなら、ひとが羨むような素晴らしき家庭さえも比較的容易に手にすることができるということですよねえ。
比して女性の場合、たとえそんなにブスではなくても「偏屈女子」というだけで、もう幼い頃から親や世間サマからバッシングされ叩かれまくられます。
それで大半の女性は途中で精神に異常をきたし慢性的な鬱や引きこもりになり、ひどい場合にはスサマジイ人格破綻者にすらなってしまいます。
幸運にも、偏屈女子バッシングの中を生き延び社会的に成功しても、女性の場合「恋愛の壁」というものがド~ンと目の前に立ちはだかります。
もっとも例外的に社会的に成功した偏屈女子本人がスゴ~ク美人なら、「美には万人に対する説得力」がある故、さほど偏屈さも恋愛の障害にはならないでありましょう。(まあザコ男どもからは多少陰口を言われる事もあるかもしれませんが)
しかし、社会的成功は勝ち取ったもののさして美人でもモテるわけではない偏屈女子の場合、異性からも同性からも以下のような陰口を頻繁に囁かれるハメに陥ります。
「な~んか、あの人って仕事は出来るんだけど、偏屈だし、女としての魅力はイマイチでイケテないよねえ。何だか見ていてイタイタシイよねえ」と。(注、この手の陰口というのは、当人よりブスでドアホな女から言われた場合の衝撃は計りしれない!)
ちょっと前置きが長くなりましたので、もう一度まとめに入ります。
「独創性」「逸脱性」ありの偏屈男の場合、仕事で成功しさえすれば、「非美形」「非モテ」要素すら「チャーミングな男の魅力」として、世間サマの目に映ります。
比して、「独創性」「逸脱性」ありの偏屈女の場合、たとえ仕事で成功しても、「非美形」「非モテ」要素があるのなら、「偏屈女気質自体がさらなるマイナス要因」として、世間サマの目に映ります。
なので、娘が生まれた場合大抵の親は、無意識のうちに娘の中からよほどのことがない限り有利に働くとは思えない「独創性」や「逸脱性」といったものを、「取り除こう!」「剥ぎ取ろう!」と躍起になります。
「うちの娘はトウが立たない無難な娘に育ってくれますように。そして無難である故に、誰からも好かれ愛される娘でありますように」と。
何かかような呪いの呪文らしきものを唱えながら子育てをしている親御さんたちが数多くいらっしゃいます。(特に母親は!)(もっともうわべの口だけでは、「あなたは少々他の子たちとは違っててもいいんだよ!」と言いながらも!)
まあ親たちの言い分からすれば、「だって世間サマは、女という生き物に対して、「逸脱性」や「独創性」ではなく、「秀逸性」や「優越」、そしてその延長線上のある「誰からにでも愛される人間」というものを求めているんですもの!」ということなのでしょうが。
後編へ続く。
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