2012年7月16日(月)
理由や程度の違いはあれ、学校生活でなんらかの不適応をきたしている児童たちは、根本的に人付き合いが苦手及び感覚が過敏という傾向があります。
なので、彼らが通常学級で一斉教育を受け人と密にかかわるのはそもそも無理があるのではないか、と私あわほは思っております。
とはいうものの、完全に引きこもってしまうと、人間関係や社会との断絶が生じてしまうため、発育上あまりよろしくないのではないかと。
そこで、私あわほから世間サマに、「こんな学校はいかがでしょうか?」というチンケなご提案。
それは、ジャジャ~ン!「小学校教育時から単位制をベースとしたフリースクールの創設!」
メリットその1.
「毎日学校に登校しなければならないストレスからの解放」
不適応をきたす人間というのは概して、「毎日毎日同じように強制的に学校へ行かされる」ということに対して、極度のストレスを感じるものである。(しかもそのストレスをそのまま放置しておくと、精神状態はさらに悪化!)
なのでもし、「べつに学校なんて気が向いた時に行けばいいんだよ!」という状況が許容されるのなら、逆に気が楽になることで心にも余裕ができ、「今日はあまり気が乗らないけど、まあ学校へにでも行くとするか!家にいてもヒマだし!」という気分にも、人間なるものである。(引きこもり度数の軽減の効用)
メリットその2.
「ウエットな人間関係からの解放」
通常の学校生活なんて毎日毎日、「周りのウワサや悪口を言ってナンボ!」「チープな共感を共有してナンボ!」の世界である。
なのでもし、フリースクールのようなゆるい人間関係や環境の中に身を置くことができるのなら、「ウワサ・悪口・チープな共感性の濃度はやや薄まる」というものである。(注、どんな環境においても人間がいるところこれらの煩わしさは付きものではあるが、それでも通常よりはマシであろう)
メリットその3.
「小さい時分から単位制というある程度正当性のある評価基準にさらされることにより、自分の得意不得意をそこそこ正確に把握できるようになるという利点」
現在でも大半の都道府県は、「教師の気分次第でどうにでもなるような通知簿及び内申書という不合理かつ不条理な代物」を採用している次第であります。
第一、通知簿や内申書というのは恐ろしい!
どんなにテストの点数がよくても、授業中に寝ていたりすると、たとえ「5」の評価であっても即「3」である。(ひどい場合は「2」!)
また逆に教師がコイツは優等生だとか無難なヤツだと判断すると、たとえ客観的評価は「1」ないし「2」の出来であっても、評価は「3」である。
まあ云ってみれば、いつも害を被って低評価を受けるのは不適応児や教師の気にくわない生徒たちである。
こんな害を被ってばかりじゃあ、出来るものも出来なくなってしまうツウの!
従って、「出来るものは正当に出来ると評価」され、「出来ないものは正当に出来ぬ」と厳しく評価されるべきである。
どんなに厳しく評価されても、ある程度きちんとした根拠や理由があれば、人間案外素直に納得できるものである。
それで、「出来ないものに関してはどう対処していくかを、小さい時分から自分のアタマでトコトン考えていけばいい」のである。
ついでに、NHKEテレでおなじみのマイケル・サンデルハーバード大学教授の「白熱教室」的な思考トレーニングを授業に採用すればさらに良し!
メリットその4.
「毎日の登校義務からのがれられる代償として、結果に対する責任感を児童に植え付けさせられるという利点」(注、これには親の協力が必要)
不適応をきたす人間というのは、すご~く生きにくい。
なので、そういう人間は何とかかんとかして自分をうまく磨いて、結果を出していくしかないのである。
まあそれでダメだったら、「ニート」になって開き直ろう!
目下ニートあわほは、「楽しく住みよいニート社会」ついて色々と模索(妄想?)中!
おしまい。
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