2015年4月8日(水)
どうも、もはや、ほんとにアクセスがあるのかさせ、非常に疑わしい、チョーマイナーブロガーのあわほです(ガクッ!)。
それでも、このシリーズは自己満のためにどうしても書きあげたかったので、仕上げます。
今回は、その最終回。
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まず軽く、ちきりんさんの講演テーマをおさらい。
マーケットに強くなるには、ふたつの能力が必要であると。
①論理的思考能力
②市場価値を、直感的&動物的感覚をもって、気づく能力。
そして、①②を強化するには、仕事などを通じての日々の鍛錬と、
思考及び考えを自分自身のために文章化する習慣をつけること。
また、これらの能力は先天的だと思われがちであるが、
後天的に充分身につけることができる能力である、というハナシでした。
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私たちは誰しも一度ぐらい、「自分なりの考えを整理するために、日記をつけなさい」と、言われたことがあると思う。
けど、私たちには、日記を付けられない大きな原因が、
5つほど...。
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(Ⅰ)過干渉な親ってのはだいたい、子どもにも秘密めいた私空間が必ず必要だという認識は全くなく、子どもが部屋にいない間に、ノート(今の時代はPC含む)&持ち物類を、根こそぎチェックしまくる。そんな親たちは、”見たら見たで、よけいにに見たくなる”って感情を、自制できないので、過干渉行為はエスカレート。
であるからして、子どもがイジメなどのヤな出来事を内面告白のようにして日記に綴るのは、まず物理的に不可能。
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(Ⅱ)小学生の頃なら、先生との交換日誌が、よく宿題になったと思う。が、それはあくまで、先生の気分を害さない&気に入られるように書くことが、至上命題。交換日記を書いて、先生に褒められれば褒められるほど、自分にウソをつき続けるのを、知らず知らず重ねていくようなもの。
その過程で、自分自身の考えや思考は、知らず知らずマヒ。
代わりに、やがて通用しなくなる、ベタでウソまみれの学校教が、脳内に蓄積され、悲劇が起きる。
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(Ⅲ)自分で日記をつけているし、そうすることを他者にすすめる人物じたいが、ヤな無感覚人間であることが多い。リアルで、あわほには、教師を含めそういう知人が何人かいた。
んで、彼らの日記をつけている様子を見ると、”物事を深く考えず、ただオ○ニーするように、出鱈目にペンを走らせているだけ...”。(ちらっと覗き見したら、内容もそんな感じ)。
”そんな奴らを見ててげんなりした”というのが、あわほの率直な感想。
これじゃあ、わざわざ日記をつけるイミねーじゃん!!
奴らの人間性も、無意味な文字が羅列されているのが示すとおりの、チョー薄っぺらく内容のないもの。
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(Ⅳ)社会不適応が慢性化すると、”自分の考えや思考は全て間違ってて、世間サマはぜーんぶ正しい。ろくでもない自分の考えを文章にするなんて、もってのほか” っていう、極論に突っ走ってしまう。
ゆえに、あわほは高校生の頃、小論文がチョー苦手で、原稿用紙半分ぐらいしかマジ書けず、先生から多大な叱責を食らった。
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(Ⅴ)ADHDと児童ウツも入っている発障者の場合、脳自体が自分の意に反して、”整然と文章化されたクリアなモノよりも、混沌としていて言語化されてない未整備状態を好む” っていう、特徴がある。 あわほもこんなクソ脳を引きずっているので、文章を書くこと自体が、非常に困難でツライ...。
(でも、クソ脳を野放しにしておくと、ますます生きづらくなるので、書けるときに書いているって、感じである)。
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このような原因において、私たちは人格形成に最も重要な10代に、文章化するという表現方法を、ぽちっとも持ち得ないのである。
10代の発障者のブログがすごく数少ないのも、その表れかも...。
確かに、思考や考えを整理し表現する能力は、後天的にも遅れ遅れで身に付けることは出来る。
ただ、小さい頃からそうすることが出来た人間と、そうではない人間との経験値の差はかなりデカイのである。
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