2014年9月30日(火)
今月のはじめ、「子どもが他者の暴力に対して無防備なのは、親が悪い」というタイトルで、イジメ被害に関する記事を書きました。
それ以降、補足・補足の補足とちょっと寄り道をしてたら、とうとう9月も終わりに..。
スミマセン。
時間感覚が全くないですね...。
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今日は、気を引き締めて、いまだにフラバの対象となっている、
イジメ被害その2。
「後輩男子からある物事がきっかけで1年以上、毎日のように”足蹴り攻撃”を食らった」ハナシ。
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小学5年生の時。
事の発端は、あわほが学校帰りに預けられている祖父母宅の店先で、ふたつ年下の後輩男子が所有のエアーガンをぶっぱなしていて、その球があわほを直撃したこと。
球は、プラスチック製なのだけど、当たると信じられないくらいイタイ。
超イタかったので、あわほは、ぶちぎれながら「イテーなー」と文句を言った。
逆切れして、さらにエアーガンをぶっぱなしてくる、後輩男子。
ますますこっちのイタさが増したのは、言うまでもない。
あわほは、腹が立って、後輩男子を足蹴り。
そしたら、後輩男子は十倍返し足蹴り攻撃。(痛恨のダメージ)。
止めときゃいいのに、あわほはさらに文句を言ったため、エアーガン&足蹴りをダブルで食らうという、超最悪の事態に発展。
あわほの親友も、向こうの友人も、ただぽか~んとしているだけ...。
祖父母の目にも入ってないので、あわほは孤立無援。
こんな同じような出来事が、約1年に渡って、祖父母宅の店先で繰り返された。
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そんなサイテーの後輩男子なのだが、道ばたで偶然に一対一で顔を突き合わせたときは、別人のように超フレンドリーなイイ子。
普通に機嫌よく色々と話してくれた。
要するに、友人を連れているときはあわほをモロ挑発して攻撃、ひとりなら人なっこい好男子。
そんな調子だったからこっちは、先生に交換日記を通して後輩男子の悪行をチクって、事態を収拾するのに、相当な罪悪感をおぼえたし、
一方的にチクるのはすごく卑怯な行為だと当時は思ってたので、あわほは彼の暴力に対して完全に無力だった。
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今思えば、彼はただ友人の前で、誰かに(この場合はあわほが格好のターゲット!)暴力をふるうことで、虚勢を張りたかっただけだと思う。
そんな彼の暴力に対しては、「学校で問題になることが最強の処方箋」だったハズ。
なのに、あわほはそうしなかったので、すごく後悔している。
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家でも、うちの父親に対するあわほの態度は、彼のように、暴力とやさしさの間を極端に行き来していた。
彼らがやさしくなると、あわほはバカだから、「ぜーんぶ水に流してあげよう」という気持ちになり、
彼らが暴力をふるった後も、「やさしく接してくれるときもあるから、あまり向こうの非ばかり責めるのもよくないよなー」という気持ちになってしまった。
もう、「
夫の暴力から逃げなれない、DV男に振り回される典型的な妻の心境だった」ですわい...。
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また、うちの母親は、父親を使ってあわほに暴力をふるわせる畜生だったので、あわほのアタマの中には、「どんな理由であれ、人にチクるのは至上サイテーの行為」だという強迫めいた観念が根づいていた。
しかも、親にイジメ被害のハナシをしたら、パニくり事態がよけいに混乱するだけだし、イジメられていることをなじってくるのが目に見えたから、絶対に言えない...。
そもそも、イジメ被害を告白するってことは、自分がイジメられている弱い立場にあるということを認めることになるから、先生にも親にもヘンなプライドが邪魔して、とてもじゃないけど言えなかった。
「
家庭環境不全は、学校環境を慢性的に悪化させる」、最たる典型。
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それでも、勇気を出して、先生との交換日記を通してチクろうと思ったこともあった。
けど、出来なかった...。
その理由は、「後輩男子の学年と上の名前(苗字)は分かってたんだけど、下の名前と組(クラス名)が分からなかった」から。
ホント今思えば、親友に聞くか、或いは協力してもらってつきとめることは容易にできただろう(なんせクラスが2個しかなかった)し、
苗字と学年が分かっていれば、そもそも情報は充分だったハズ..。
「ヘンに完ぺき性を求める反面、2個しかないクラスを判別不能」っていう、超マヌケッぷり。
「”発達障害児は認知機能が弱過ぎる”ってのも、イジメを防御できない大きな理由」だと
ぽちっと痛感している、今日この頃である。
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