2014年9月21日(日)
どうも、急性アルコール中毒が尾を引いてしまい、それに激ウツ症状が重なり、この一週間もがき苦しんでいた、自業自得のあわほです。
更新のあいだがかなり空いてしまい、伸びきったラーメンがさらにふやけた感じとなってしまいますが、
前回の補足の補足です。
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1)小学校5~6年生にかけて、あわほに暴力をふるいイジメてきた、ADHD系男子。
先生の前では暴力をふるわず、皆の前では笑いをとることで、暴力行為そのものの濃度を薄めてしまう、たちの悪い巧妙さ。
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まあ、今から思えば、向こうが挑発的な態度をとってきても、毅然とした態度で、徹底して無視し続けるとか、
あるいは、クラス内に人数が少なく、向こうの気持ちが落ち着いているときに、「火種のもとをつくったのは自分であることをまずちゃんと謝り、同じ蹴り合うにしても、体力格差がある場合、被害をモロこうむり、痛みを酷く受けているのは自分であること。またアンタが挑発すれば、自分はそれにのってしまう。だから、そんな不毛なことは、今後いっさい止めよう」と、ちゃんと伝えればよかった。
それでも、被害がおさまらなかったら、暴力教師だといえども無視することができない、先生と生徒個人個人が毎日やり取りしてた交換日記を使って、ちゃんと事情を伝えれば、その後の被害はおさまっていたと思う。
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でも、当時このあわほには、イジメをイジメと受け取るだけの脳ミソもなかったし、
イジメられていることを自分でちゃんと認識することは、変なフライド&ナルシズムが邪魔して、全くできなかった。
ウチでは、母親が、父親や異母兄にちょっとしたことを告げ口して、あわほに対する暴力をふるわせていたし、
また過去に母親が父親に告げ口して、異母兄に対して暴力をふるわせていた話しを、得意気になって、耳にタコができるぐらいよくしてたものだから、(母親に悪意がない分、よけいにタチが悪い)、
「
どんなカタチであるにせよ、告げ口は卑怯だ!」と、盲信しており、イジメに関することは一切交換日記に書けなかった。
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さらに、
当時の自分は、「人が自分にいっさい関わってくれなくなるより、どんなカタチであるにせよ、無視されるよりはマシ」ってな感情に、無意識のうちにじわじわ支配されていたと思う。
ニュースでよく報道されるイジメで自殺した生徒たちの遺言のなかに、だいたい同じような心の共通点があり、胸がすこぶる痛くなる。
それに、「
ADHD系の暴力野郎ってだいたい、イジメているときと、優しいときの落差が激しい」んだよね。
なんか優しいときは気まぐれで、隣の席に座っているというだけで、自分の卒業ファイルノートをさっと手渡して、「書いてね」って、言ってきたり...。
大抵はクラスで孤立してたら、他者のファイルノートが手元に全くまわって来ないか、最後のオマケみたいなカタチでまわってくるんだよね。
そんな状況だったから、「
イジメられながらイジメに依存している自分」ってのが、存在してたと今になって痛感する。
もっとも、ウチでも、暴力と優しさの間を激しく行き来する父親や異母兄にどっぷり依存するような日々を送っており、そんな状況を普通だと思っているから、問題を問題としてちゃんと認識できなかった。
思考停止......。
ー
んで、アスペって、「
変なところで、入らぬ客観性を発揮して大損する」んだよね。
中1のときの修学旅行で、ADHD系男子は、家庭科のBBA教師に扮した役の、コミカルな劇をしていた。
「ホントに面白い!」と思ったので、それを作文に書いたら、文集にのってしまった...。
そのことで、不特定多数の者から、「アンタはアイツのことが好きなんちゃうん~!」と言われるハメに......。
さいわい、そのときはヘンにアツくむきにならず、「ちゃう、ちゃう」ってテキトーに受け流してたから、騒動は一週間ぐらいでおさまった。
(たぶん、クラスが別だったことも幸いしてたと思うし、こういうことで相手のことを好きだと誤解してしまう子たちの短絡的な思考回路の方に、大いに問題があると冷静に思えたので、アツくならずに済んだかな)。
とはいえ、この一件で、「ヘンな客観性をむき出しにしてモノを言うと、あらぬ誤解を招いてド恥をかく」ってなことを、
ぽちっと学んだ。
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