2014年8月28日(木)
前回の記事で、あわほが全く共感できないモンスターブログのひとつに、
「1)-A.普通人と思しき人の、病的にねじ曲がった感情が、ダイレクトに支離滅裂な文章となっている類のモノ」をあげました。
で、今回はその補足。
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そもそも、メンヘラ系普通人と思しき人たちっていうのは、
「言語のある現実社会に重点的に身(身体)を置きつつも、心のなかに言語なし。ブログ表現において、”言語がある世界”と”言語のない深層世界”の、ちょうど境界線上に立っている」、ような感じがします。
整理すると、あわほのイメージでは、以下のようになるかな。
身体:言語を備え付けた状態で、現実社会に適応(
言語あり)
心:虚無(言語なし)
ブログ:言語あり + 言語なし状態が入り乱れたカオス(
言語と非言語のドッキング) = 支離滅裂文体
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に、比してASあわほ。
身体:言語がない混沌とした状態のまま、現実世界と対峙(
言語なし)
心:虚無(言語なし)
ブログ:虚無状態に脈絡をもたせるため、人為的に言語を構築(
言語のみ) = ガチガチに硬直した文体
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ASあわほとは違って、メンヘラ系普通人たちは、「言語のある日常が先行する苦しさに耐えかねて、そのせいで心の奥底に溜まった言語のない澱(おり)を吐き出すべく、(意図的でないにせよ)支離滅裂な文章で表現している」のではないでしょうか。
= 言語を有している者たちの苦悩 = 脈絡のある表現だけでは心身共に苦しい状態 = 脈絡からの自己を解放を求む。
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かたや、あわほは、「身体にも心にも、言語&論理が完全ゼロの原始状態。これでは人間としての生活が全く成り立たないので、日々必死に言語を探し求めて、あがいている状態」
= 言語がない者たちの苦悩 = デタラメで不整合な混沌とした地頭錯乱作用のせいで、心身共に疲弊している状態 = 反動で、ガチッとした脈絡による自己の縛り付けを求む。
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ようは、心の解放を求めるメンヘラ系普通人たちと、逆に心の縛りを求めるあわほ型ASたちとは、
ぽちっと!文章そのものが、水と油かもしれぬ......。
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