2014年5月2日(金)
最近、「悠仁さま(小2)のお茶の水付属小学校での孤立」が問題になっているみたいだ。
皇室の方が入学されてこられた先例のないお茶の水(小)は、ピリピリの厳戒態勢モード。
それにより生徒の保護者たちもナーバスになり、その雰囲気が子である生徒たちにも伝わり、誰も悠仁さまに近づこうとはしないようである。
紀子さまは、悠仁さまの孤立問題をを懸念されているご様子で、担任に直談判をしたり、ご公務でお忙しいなかPTAの役員も自らかって出ておいでになるとのこと。
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ニュースポストセブン(2014年4月24日)の記事には、悠仁さまのお茶の水(小)での孤立問題について、いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハート プロジェクト」で理事を務める武田さち子さんのコメントが掲載されていた。
「昨年6月[[いじめ防止対策推進法]]というのが公布されたのですが、基本的な方針の”いじめ態様例”には[[冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことをいわれる]] [[ひどくぶつかられたり、叩かれたり、蹴られたり]]するとともに
[[仲間はずれ、集団による無視をされる]]も明記されています。ですから、悠仁さまの状況は、もう充分にいじめと言えるでしょう」
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もっとも、悠仁さまの孤立問題は、自分自身に何らかの問題があるのではなく、皇族という特殊身分から生じる外的要因によるものである。
であるからして、このような事態が生じたからには、学校側は全力でこの問題解決に取り組む必要がありますよね。
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かたや、我ら一般人が学校内で受ける[[
仲間はずれ、集団による無視をされる]]が、いじめに該当するか否かは、かなり微妙だとあわほは思う。
無論、他者に対して身体的・精神的暴行や屈辱を加えるのは、明らかにいじめであるし、
自分をいじめのターゲットからそらすために、おとなしそうな子に目をつけ、わざとその子を貶めるような行為をして、集団でその子を仲間はずれ・無視をさせるように仕向けるのも、明らかないじめである。
そして、家庭科や体育などの授業で、仲間はずれや集団無視状態を教師が放置するのも、これまたりっぱな職務怠慢。
しかし、自分自身の気質や学校適応能力に問題があって、仲間はずれや集団無視の対象となるのを、いじめと呼ぶにはやや大げさ過ぎる感じがする。
というのは、「ちゃんと学校適応している子たちは、孤立している子たちと関わり合いになりたくないというのが、おおよその人間の心理である」から。
悠仁さまとはちがい、一般生徒の孤立ってのは、「KY・ノロマ・清潔感が足りない・ブスッとしていて反応が鈍い・キモイ・ヘンに調子に乗っている・多動」など、他の人たちが思わず生理的嫌悪を覚えてしまう症状を抱えこんでいることが多いですよね。(慢性的に孤立していたあわほも人のことはいえない...)。
まあ、あわほ自身がうえに挙げた症状にかなり該当していて、目下、友達ゼロ状態なので、胸を張ってはっきりこう言える。
大多数の人たちは、孤立しているヤツや生理的嫌悪感を覚えるヤツとは関わりたくないから、ただ無視しているだけ。
ーで、大多数の心の声は、おそらく以下のようなものだと推測される。
「ワシらにだって、<かかわりたくないヤツと関わらないでいる権利ぐらいはある>。仕事でもないのに、ヤなヤツと関われと強制されるのは、これこそ、基本的人権の侵害だ~!」
「”友人”ってのは、世間や周りの人たちに対して、セルフイメージを決定づける、重要かつ大切なアイテム。”自分にどのような友人がいるかで、学校での自分の地位も自然と決まってしまう”といっても過言ではない」
「特に、定型のオンナなんて、髪型・メイク・ファッション・喋り方・話題の選び方・雰囲気・身のこなし方ってなものに至るまで、毎日毎日神経質過ぎるほど気をつかっている」
「イケてないヤツと関わると、ワシのイメージがた落ち。ごめんこうむる」
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人間心理ってのが原理的に、”歪かつ冷酷・排他性を有している以上、[[仲間はずれ・集団無視は、いじめ]]であると専門家が短絡的に決め付けてしまうのは、現実を無視した理想論にすぎない、とあわほは思う。
嫌われ者で孤立している人間は、[[仲間はずれ・集団無視は、いじめ]]だという専門家の正義ぶった論調にあっさり乗ってしまうのではなく、「なぜ、どうして、どんな状況であり、どんなヤツがいるから、自分は嫌われるのか」を、まずちゃんと自覚した方がいい。
だって、自分が嫌われる原因を自覚してないと、自分自身の問題も全然解決しないし、周りとの不要な摩擦は増えるし、ますます生きづらくなるだけ。
チョー無感覚なヤツなんて、ジジババになっても、モンスターペアレントのごとく、ただ周りに大迷惑をばらまいているだけなんだから。
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とはいえ、発達障害者や不適応者というのは、(あわほも含め)不器用であったり基本能力が不足してたりするので、「”社会適応者”となるのは、どこまでいっても非常に困難」。
故に、1)過剰適応、2)自分をある程度矯正しつつ、処世術を身につけながら、軽く社会との共存を図る、3)社会と断絶するの、
3択を否応なしに迫られることになる。
3択のうちどれを選びとるかを決断するにしても、「仲間はずれ・集団無視心理」抜きで考えると、何も決められないし、ただ精神がオカシクなり混乱するだけ。
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あ~、にしても、専門家の理想押し付け論には、いつも
ぽちっと嫌気がさしてしまう。
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