2014年4月16日(水)
”環境論者”にして、”教育狂”である(母方の)祖母は、明治45(大正1)年生れ。
瓶底メガネをかけ、モテナイオーラを放出している祖母は、強度の醜態コンプレックスの持ち主。
心の奥底では、オンナひとりでも完全に自活できる、教師師範学校か看護学校への進学を希望。
でも、家の経済状態を考慮して、大正デモクラシー真っ只中、商業系の女学校に入学。
女学校を卒業さえすれば、自立の夢が叶うかもしれないと夢見てたのであるが、20代半ばで、仕事にも恋愛にも自分の能力の限界を感じ、ヒステリー状態で祖父とお見合い結婚。
その後、”教育狂”の鬼となり、家庭のなかに害をばらまきまくった。(いやはや)。
ーー
”大正デモクラシー”といえば、教育も自由で表現的だといったイメージもあるが、どうやら女子教育においては、現代にも大きな負の遺産を残すことになったみたいだ。
ってか、あわほは、
「大正デモクラシーの女学校教育が、毒親の起源である」と踏んでいる。
ーー以下「母親はなぜ生きづらいか」(香山リカ 著・講談社現代新書)を一部参考ーーー
明治32年7月の地方視学官会議で、当時の文部大臣・樺山資紀は、女子高等普通教育の目的について、「
良妻賢母を育てることにある」と説明。
その背景にあるのは、良妻賢母のいるイエでよく養育された子どもを国民として輩出することが国家に対する責任だから、という考え方。
女性が「賢母」となるために期待されたことは、女学校で教育学などの「学問」を通して、「科学的」な家庭教育のあり方を学ぶことであり、結婚後も、読書などを通して「新しい知識」を獲得いていくことにあった。
-----(注・ちょっと話が逸れますが、これって、現代の発達障害育児教育に相通ずるものが感じられ、非常に恐ろしく感じるには、あわほだけであろうか?)
女性が良妻賢母となることで、男性たちは仕事や兵役に専念でき、かつ優秀なその予備軍となる子どもがイエで育つ。
これは当時の国家にとっても都合のよいことであると同時に、これまで何の権利も認められなかった女性たちにとっても、ひそやかな権利や存在意義につながるものであった。
女性たちは、良妻賢母思想を国家から押しつけられた被害者ではなくて、実は自分たちの地位向上のためにそれを受け入れるしたたかさを持っていたかもしれない。(”近代国家”と”女性たち”との密かな結託)。
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そんな風潮の中で1919年に出版された、
鳩山春子(鳩山由紀夫・邦夫兄弟の曽祖母で、共立女子大学の創始者)の大ベストセラー教育体験記、「我が子の教育」(婦女界社)の一節。
「
子供だけは私の思う通りにさせて下さい」
その子孫の鳩山由紀夫・邦夫兄弟は、ウン億円もの政治資金を未だお母さまから援助し続けてもらうダメっぷりで、政治家としての方針や発言も右往左往しておりますぞよ。
こんな状況をみると、「良妻賢母のスローガンのもと、”子どもを思う通りにしたいお母さま”に支配続けられた結果、(アタマのスペック自体は高いにもかかわらず)、肝心なことは肝心な時に何一つとして思うように決断出来ない、ダメ子ども(この場合は、息子)をつくる温床となっている気がする...」(by.あわほ)。
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鳩山春子が「子供だけは」と言ったように、女性たちにとってはまさに子育てだけが、その<私>を存分に発揮できるステージでもあった。
<私><自分>という自我の意識が、女性に浸透してきた、大正デモクラシー期。
家庭教育は、単にいい子を育てるだけが目的ではなく、「
いい子を育てられる自分の能力を確信する」「自分らしい家庭教育を行う」といった母親自身の自己表現の意識が、ここに来てますます強くなっていった。
ー
「
いい子を育てられる自分の能力を確信する」って、子どもにとって、ホント大迷惑なんですよね。
「
自分らしい家庭教育を行う」って、発達障害気質丸出しで家庭教育を行うと、だいだいロクな結果をまねかず、子どもが入らぬ苦労ばっかするし...。
無論、地頭自体が良くないとどうにもならないこと、多々あり。(苦笑)。
それに増してタチの悪いのは、うちの祖母の頭の中で、「いい子 = 学校の勉強が出来る」に、一点集中していること。
そもそも、「はじめから勉強出来ない子どもに、
環境だけは整えてやるから、結果や成果を出せ」なんて、無理難題もいいところ。
「上のふたりの子は勉強出来るのに、あの子は勉強が全く出来ない!」って、うちの母の成績表を見て、不満タラタラで歎く祖母。
かたや、学校の勉強さえ出来れば、その他の致命的な子どもの欠点には全く目の届かない、無感覚で鈍な祖母。
あわほが思うに、うちの母親なんて、祖母の欠点の悪いところばかり寄せ集めて、それを凝縮させて出来た結晶なんだよね。
祖母の話を聞くかぎり、「自分のグロテスクな面を映しだした鏡は、うちの母である」って認識も、どうやら全く欠けていたようだ。
”環境”って言葉、”自分の出来の悪さをごまかしてくれる言葉”として、大変便利。
同時に、”人はもともとが凄く不平等である”っていう酷な現実も、うまく隠蔽してくれるのだから...。
祖母は、自分の大したことがなく欠落だらけの遺伝子が、どれだけ子どもや子孫に悪影響を及ぼすのか、
ぽちっとも考えたことはあるまい。
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