発達障害である"あわほ"が、日々の思いや過去の出来事から考えたことをつづります。同居人であるオカメインコ♂の"のぶりん"も時々登場します。 当ブログはリンクフリーです。
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あわほの愛読書のひとつが、「発達障害の子どもたち」(杉山登志朗 著・講談社現代新書)。
であるが、昔から何度読んでも、どうもしっくりとこないところが数ヵ所ほどある。
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特に、解せないのが、「愛着とその障害」について書かれた部分なのである。(以下、P・149より一部抜粋引用)
「愛着行動とはもともとは乳幼児が不安や恐怖に陥ったときに、養育者との交流によってその不安をなだめる行動である。父親との間にももちろん愛着は形成されるが、母親ほどきちんとした絆になりにくいことはどうやら事実である」(注釈・心理学でいう「安全基地」の話であると思われる)。
「余談ではあるが、実地の観察による研究を見ると、乳幼児との相互作用はどの形態の社会で調査を行っても圧倒的に母親との関わりが8割以上を占めており、十五パーセント程度が兄弟相互の関係であり、それ以外が父親となる。確か80年代の研究であるが、砂漠のベドウィンとイスラエルの実験的なキブツでまったく同じ結果になっているのに、うなった記憶がある」
「こうなると、乳児にとって父親とはいったい何かということになるが、相互作用の中で、横の支えがとても重要であるから母親の安定のために父親はとても大事というのは、男性の筆者としては、負け惜しみに近い」
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さらに、母親嫌いのあわほに、追い打ちをかけるような文章が、「大人との関わりが大事」(p・179)に出没。
「親子通園は特に仕事を持つ母親の場合には困難であり、また母親にのみ過大な負担をかける部分があることは知りつつも、幼児期の一~二年というわずかな時間を、親子で療育に向かい合う経験は豊かな成果をもたらすことを強調したい」
「先に最悪な対応は「放置」であると述べた。たとえ加配(定員外)の保育士が付いたとしても、数人の障害児を一度に世話をする状況が一般的である。それに対して、親子通園であれば、一対一というもっとも密度の濃い療育が可能である」
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ち、ち、ち...よっと、勘弁して下さいませ、杉山先生。
あ、あ、あわほは、うちの母親が、愛着形成や脳の発達にとって、最も重要であると言われている、零歳から3歳の時期に、母親が正社員のフルタイムで働いていました。
それで、平日あわほは母方の祖父母の家に預けられていたのですが、それで大変良かったと心底思います。(「放置」バンザイ!)。
っていうか、じゃないと、今ごろマジこのあわほ、無期懲役か死刑囚になって、刑務所の中で人生終わっています。(苦笑)。
もう、物心ついたときから、母親に触れられるのも、声を聞くのも、精神的に苦痛で苦痛で悶絶死しそうな感じでしたから...。
接触すれば、あわほの精神行動や足りぬ脳機能を激しく乱すだけ。
なんせ、うちの母親は、人の感情把握も状況把握理解能力も、先天的に酷く欠落。
むだにキャリアウーマンとして成功したばかりに、その欠落は一度たりとも彼女の中で意識されることはなく、ますます無感覚かつ傲慢な人間になってしまいました。
(うちの母親が自身の中で激しい欠落を感じるのは、学歴・美醜・うちの父親が低収入かつ浪費家であるという、チョーどうでもいい3点のみでした)。
できることなら、うちの母親に、週末もいっさい祖父母の家に寄り付いて欲しくなかったですね。
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祖父母の家に来たら来たで、毎度毎度あわほの表情も感情も一切合切無視して、自分の買って来たレコードを、音量高めで長時間流し続ける。(過覚醒して、寝るにも寝れない)。
夜も深夜も祖母に向かって甲高い声で、長時間べらべら喋りまくる。(酷い耳鳴りがキンキンして、人知れず涙を流していた)。
日光浴は日差しが強い場所にかなり長い時間、乳母車に乗せて放置。(毎度日差しの強さに気分が悪くなり吐く寸前までいった)。
「おかあさんのかわいいかわいいあわほちゃんがね、おぎゃあおぎゃあと鳴いてます」「あわほちゃんは○歳」などと、ヘンな歌を勝手につくり、チョー不快な甲高い声で、それを何年も何年もしつこくリピートして歌う。(この拷問レベルの騒音、小学高学年まで続く)。
「止めて~っっ!!!」と必死に、こっちも子どもながら必死に泣き叫んでいるのに、「とっても喜んでいる」と大の勘違いをしたまま、誤認が修正されることはありませんでした。
毎週土曜日に大泣きしているあわほを強制的に実家に連れて帰り、一晩中泣き叫んでいるあわほをヒステリックに叱りつけ、毎度毎度自分たちは裸でよろしくやっている。
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つまり、うちの母親には、「他者は(たとえ我が子であろうとも)、自分とは違う喜怒哀楽感情をもっている」という概念が、恐ろしいことに全くないのです。
おまけに、うちの母親は、「自分の都合のいいように、他者の感情を全部歪めて、解釈します」
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こんな母親に、人格形成の最も大切な零歳~3歳のあいだ、べったり付きっきりで育児される可能性があったかと思うと、今でも身の毛がよだちまくりです。
また、うちの母親は典型的なADHD暴走型でもあるので、育児一点集中になると、外へ向かうはずのパワーをもてあまし、ヒステリーに激ウツ・育児ノイローゼが併発して、劣悪な家庭環境がさらに悪化していたに違いありません。
生後まもなくのころ、母親の辞表を却下してくれた上司さま。
「あわほの人生が最悪なシナリオになることから救って下さった大恩人」であると、面識はありませんが、今現在でも人知れず大変感謝しております。
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あと、「靴ひもがちゃんと結べない」「靴すらちゃんと履けない」って、来る度に金切り声を上げてあわほを罵っていた母親に、通園同伴なんてのは失格です。
隣のクラスの先生が、「言語障害の疑いがある」とうちの母親に告げ、市のセンターに行ったことはあるのですが、「問題なし」との鑑定を受け、その問題もアッサリと立ち消えになってしまいましたしね。
(うちの母親は「言語障害の疑いぐらい小さい子なら誰にでも付きまとう」と、思ってたみたいです)。
うちの両親も祖父母も、「あわほの抱える本当の問題行動には信じられないくらい無感覚かつ認知能力も皆無」。
はなからハナシになりません。
因みに、通園の送り迎えは祖父の担当。
なぜかいつもどの母親よりも早く一番に迎えに来てくれ、山にススキの生えるシーズンには刈り取ってそれを持って来てくれて、子供心にとても嬉しかったです。(これが亡き祖父との一番イイ思い出です)。
なので、祖父が迎えに来ず、母親か父親が迎えに来た日は心底ガックリでした。
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問題行動多過ぎで、子どもの気持ちがまるで分からない母親は近くにいると、ぽちっとどころか、大いに有害なだけなのである。
「子どもにとって母親は、絶対的存在ではない」ってハナシは、次回に続きます。
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