発達障害である"あわほ"が、日々の思いや過去の出来事から考えたことをつづります。同居人であるオカメインコ♂の"のぶりん"も時々登場します。 当ブログはリンクフリーです。
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あわほがまだ20代で、原因不明のウツでのたうち回っていた頃、本屋でよく本を立ち読み(座り読みとも言う)をしておりました。
今から15年ぐらい前は、発達障害について詳しく書かれた本は皆無に等しく、ウツ関連の本にも、「几帳面で真面目だった人がある日突然ウツに見舞われる」ことを前提に書かれたものばかりでございました。
なので、あわほは自分が発達障害であることも分からず、ただ漠然と自分とは違う理由でウツに悩まされている患者さんの話ばかりを、失望混じりで立ち読みする日々を送っておりました。
そんな失意の中でも、次の話だけは、強烈に印象に残ったのです。
「コップの水が半分になったとき、まだ半分残っているからゆっくり飲んでいこうと思う人は神経症になりにくいけど、半分しか残ってないと慌てふためく人は神経症になりやすい」
この本の作者名は全く覚えていないのだけど、書き手が精神科医(♂)だったことだけは記憶に残っている。
もっともあわほの場合、正確にはコップの水というよりは、ペットボトルの水やお茶が半分以下になると、極度の不安状態になってしまうわけでございますが。
べつにベットボトルに限らず、あわほは何でもかんでも、何時いかなる時であっても、「足りなくなる恐怖」が、猛烈に強いのでありまして。
日常生活レベルにおいては、カップラーメン用の水を沸騰させる時もたえず多めに入れないと不安でたまらなくなるし、のぶりん(♂)の野菜やポップコーンが切れかけたらとたんに神経質になるし、半額セールではなくなるのがイヤで過剰に買い込んでしまうし、愛用している無印のボールペンの本数が減ってくると極度に不快になるなど、もう細かな例をあげるとキリがありません。
まあ裏を返せば、「あわほは、過剰じゃないと精神的な落ち着きを得られない、非常にバランスの悪い気質の持ち主(貧乏症)」だと言えるでしょう。
今から思えば、ひとつの大きな原因になっているのは、やはり過剰な養育環境(ザ・あわほの十八番!)
うちの母方の祖母は、子どもの頃あわほが軽く熱を出しただけで、毛布や掛け布団を何重にも重ね孫をぐるぐる巻きにするような人で、インスタントラーメンが、押入れにいるネズミに齧られ続ける被害に遭うも一向に懲りることなく、セール毎に過剰に買い込み、押入れに詰め込みまくる人でありました。
母は言うまでもなく、何でもかんでも過剰に買いまくり、何かがひとつでもなくなると、キイキイとヒステリーをあげる女。
父親は、お腹がいっぱいでも、娘に自分が作った料理を毎晩半ば強制的に食べさせたり、娘が喜ぶからって、アホほどスイーツを買ってくるような男(ザ・娘をフォアグラ化させる男!)
それでいて、その過剰さとは裏腹に、周りの査定方法は引き算ばかり。
まあひと言でいえば、家でも学校でも、「アンタはあれが出来ない!これも出来ない!いったいどうなっているんだ~!」と、罵られてばかりの毎日といったところでしょうか(苦笑)
特に、発達障害者のこの手のトラウマってのは凄まじやー。
人というのは代償行為を求めるサガゆえ、引き算により心に穴ができてしまうと、それをなにかで埋め合わせようとして、必死でもがいてしまうもの。
心のバランスがいい人だと、たとえ心に穴があいたとしても、まあ程々に埋まればいいやーとか、今は埋まらなくてもそのうち何とかなるからあまり気にしないでおこう、という余裕がありますよね。-----------
これが言うなれば、「コップの水がまだ半分残っているからゆっくり飲んでいこう」タイプで、神経症とはあまり縁のない人たちでありますかな。
これとは逆に、幼少の頃から終始劣等感に苛まれ続け、毎日が引き算続きで、そのくせ過剰な側面も多々同居する環境におかれたら、精神構造は途轍もなくエキセントリックに。
さっきもちょっと触れたように、何かモノが切れかけていると感じたらすぐに不安に見舞われるだけでなく、無形なものに対しても、「私にはあれが足りない。これが足りない。どーしょうー、もうおしまいだー!」と、極度の不安感や不全感を感じてしまうのであります。
「友達がいない」「この友達に絶縁されたらどーしょう」「皆から嫌われている自分はゴミくず同然だ」「あー、これも出来ない、あれも出来ない、私って完全におわっている」「仕事がない、もう生きていけない」ect.....。
まあ長年原因不明なままこのような状況下に置かれれば、どんな人でも精神的にまいってしまうと思われますが、ゼロ百思考の典型の如く、過度に意識してしまうのは、やはりどこかオカシイとしか他に言いようがありませんね。
モノであるにせよ、親が有する感情であるにせよ、過剰さが凄まじいゆえに、余計に欠落したものが神経症的に気になってしまう、この感覚。
いうなれば、過剰と欠落の間の中間がないに等しいから、中間的という概念が全く理解できず、ジグザクグラフの頂点とボトムを無秩序に行ったり来たりを、ピョンピョン繰り返している感じ。-------------------コップの水が半分しかないと慌てふためく人は神経症になりやすい。
結論的に言うと、中間を学習できずに生きてきた人は、心の余裕が全く持てずつまずきまくるのでございます(苦笑)
それでいて、過剰は本能的快楽感を猛烈に刺激したりするので、なんともやっかいな代物でありますなあ(ex.アスペの過集中・買い物依存)
中間を意識することは大切だけど、それだけでは人生退屈極まれりなので、人間ってホントにとんでもなく超やっかいで、生きるのがホントもうイヤになる(早く死にた~い!)
今日は、オカメインコのぶりん(♂)の野菜が3種類同時に切れかけなので、これから買いに行ってきます(ムダに野菜が多い。のぶりん過剰のためか?トホッ!)
あわほには、やはり過剰さというものが必要なので、誰かぽちっと!愛の手をプリ~ズ!
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