2013年5月30日(木)
どうも、約一カ月ぶりに、Chikirinの日記にアクセスした、ズボラなあわほです。
ついこの前まで、プロゲーマーの梅原大吾の話ばかり書いていた、Chikirinさん。
久しぶりにアクセスしてみると、話題はがらりと変わり、少子化や将棋VSコンピューターの話が中心。
で、少子化の話は偶然にも、今ちょっと読み直していた「幸福論」(小倉千加子・中村うさぎ・岩波書店・2006年)と被るので、少し取り上げてみようと思います。
日本にだって、「結婚はしなくてもいいけど、子どもはほしい」という女性は、今でもたくさんいますーchikirinの日記・
結婚はオワコンこの事実を前提に、Chikirinさんは、「もう現行の結婚制度なんて崩壊しつつあるのだから、欧米みたいに婚外子が普通に認められる社会に日本もしていけば、少子化に歯止めがかかるのではないか」と、言うような主張をされております。
まあ、あわほもそうは思うんだけどね。でも・・・。
昔から現代に至るまで、上記のような願望(
太字部分)が、女性サイドから頻繁になされているのは、情報としてはよく理解できるのだけど、感覚的には全く理解できないあわほ。
「結婚するのは、相手がマトモで話が通じる奴だったら精神的にギリギリ我慢できるけど、子どもは絶対にいらん!」と、ガキの頃から彼女たちとは全く逆のことを思っていたあわほ。
もっとも、ガキの頃から毎日毎日両親の強烈なエゴに晒されて生きていりゃ、こういう考えになってしまっても一向におかしくはないと、個人的には思っておりますが。
ここらへんでちょっと問題になるのが、うちの母親のこと。
うちの母親も彼女たちと同じように、
「結婚はしなくてもいいけど、子どもは欲しい」と、思っていたタイブだ(注・結婚したのも、離婚に30年以上の月日を費やしたのも、先立つのはやはり「体裁」だったと思われる)
うちの母親の虚栄心と自分の遺伝子に対する執着が人一倍強いのは、今さら言うまでもありません。
でも、子どもを育てる能力が皆無であるにもかかわらず、なぜ自分の子どもを異常なほど欲しがったのかは、娘として理解に相当苦しむところでありました。
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「幸福論」p.51~52.
小倉:ええ。
日本人はとにかく、相手とすべてが一致しなきゃ気がすまない。二者関係が、男女であれ、同性どうしであれ、
親と子になると一番楽なんですよね。ー中略ー
小倉:親も、ちょっとでも期待に反することを子どもがすると、虐待になる。
うさぎ:「食え」と言ったのに食わない、とかね。
小倉:
母親にとって子どもというのは、自分の母親なんですよ。特に女の子は。「長女は母の母である」。
つまり、自分がして欲しかったことをして欲しいんです。だって、それ以外に信じられる他者なんていない。夫なんて何も期待できないし(笑)
ー引用終わりー
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自分の子どもが母親代わりというのは、よく言われることではありますが、「自分の子どもの共感性をすべて支配したがる感情や、信じられる他者が誰もいないから、すべては子どもに!」って感覚、これって、どーよ!
うちの母親からこういった類の感情を、昔からうすうすは感じ取ってはいたけど、本としてこうしてきっちりと言語化されると、改めて、このおぞましい感情にゾ~ッとさせられます(特に、うちの母親の「アンタだけには心を許しているから、家族の悪口を言い続けたんや」発言にはホント反吐が出る)
まあ、このような暴言を吐いているあわほも、実際に子どもなんてものがいりゃあ、理性では分かっていても、感情面ではやはり、「アンタはなぜいつも何時もワタシの言うことを、こうも理解してくれないのかしら!」(怒)の連続だと思う。
事実、このあわほも以前、従弟(5歳下)の当時の彼女のことがとことん気に入らず、ひとりでピイピイ喚いていたら、夫に、「オマエみたいなのに子どもがいたら、子どもの神経が全くもたないよ~!」と、大いに呆れられたことがありました(自分でも全く同感である)
少なくとも、自分で自分のこのおぞましい感情を理解しており、また、両親からも被害を被ったので、子どもを全く欲しがらない人間(?)になってしまいましたが。
このあわほのようなタイプの人間の場合、正面切って生々しい問題になるのが、「自分と自分との関係」+「自分と他者の関係」(注・リアルな他者が存在しなければ、べつに本とかで代用してもいいと思う)であります。
どちらの関係とも、常に捉えどころがなく、やっとこさ苦労して少し理解できたと思ったら、すぐに元の木阿弥で平行線!(特に、自分は自分に対してすぐに嘘をついて誤魔化すし、自らの裏切りにより自分を大いに傷つけて、取り返しのつかない程大きな痛手も負う)
しかし、それでも、すれ違いや数々の不可解で意味不明な要素があるからこそ、対話を重ね、長い年月をかけて、少しずつでも何らかのものが見えてくるのが、痛快なのであります。
多分、これって、「自分が元から持っている共感性で丸ごと相手を支配したい」という、子どもほしがりや派の感情とは、やや毛色が違う。
そして、あわほのようなタイプがモットーとしているのは、おそらく、「新たな共感性を、かりそめでもいいから絶えずつくり続け、究極的には、超ワガママな自分自身を、完全に納得させ、有無を言わせない程ギャフンと黙らせてやる!」こと、だと思う(一生かかってもそれが叶わないのは、とうの昔から分かっているんだけど、野望は野望!)
もっとも、このような内面的で社会的にもあまり役に立つことがない、超自己完結的なナルシズムって、はたから見ていて痛々しいし、意味不明だから当然疎まれる。
でもね、「はじめからある自分の共感性を子どもという分身に全部丸投げすることに、疑問すら呈さないで、婚外子、少子化対策ってほざく社会って、やはりどうかしている」
実際、自分を含め多くの人間が親の分身性の犠牲となって、修復不可能なほど精神を病んでしまっているわけだし。
本日も、とことんウザイ暴言を吐きまくり、ますます人から嫌われる運命にあるあわほです。
そんなあわほにも、誰か、「ぽちっと!」と優しき愛の一手を!
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