2013年3月30日(土)
前回の記事で、「自分が本当に好きで熱くなれる何かをまだ見つけられないんだよね。だから、俺はニートで、人生迷走中」などど、今の若者男子諸君がにわかに思っているであろう事を、10代~20代の頃の自分の気持ちと重ね合わせてつい書いてしまったあわほです(苦笑)
でも、後で読み返してみると、やはりこの部分の記述は何処かピントが外れているんだよね。
それもそのはず。
あわほには「本気でこの職業に就きたい!」と思うものも、「何者かになれるはずの才能」も、生まれてこのかた全くなかったのでありますから・・・。
そもそもちょっと考えてみれば、イチローみたいなスポーツ選手や企業家として成功している人たちって、「俺はこれがやりたいんだ~!」と、幾ばくかでも思えば、頭の方ではなく体の方が、独りでかつ無意識的にフル稼働しているんだよね。
かたや、自分自身の職業観に対しては現実的だったうちの母親は、「お母さんは広告代理店の営業の仕事がたまたま自分に合っていたから、長く続けられたんや」と、よく口にしていました。
かく言ううちの母親は、かような飛び込み営業的な仕事とは非常に相性がよく、お祖母ちゃんお爺ちゃん相手の卒業アルバム製作のテレアポのバイトでも好成績を上げていたみたいであります。
作家の中村うさぎも、「OLの仕事を辞めようかどうか悩んでいた時に友人から、(アンタ昔から作文書くの上手かったじゃん。だったら、会社辞めて文章書く仕事でも始めばいいじゃん)と、言われて、コピーライターの修行をはじめた。だから人間やりたい事よりも、
適性の方がずっと大切よ!」ってな事を、昔読んだエッセイに書いておりました。
こういう経緯があって、「自分の
適性とは何か?」ってな事を、長い間模索していたハズイ経験があわほにはあります。
でも哀しいかな・・・、秀でた才能もないどころか、一般的な事務処理能力も社畜としての耐性も大いに欠落している発達障害者あわほには、「自分のやりたい事」どころか、この
適性すらまともに探究する権利が、そもそも始めから与えられていなかったようであります。
なんか、これって・・・、「生まれながら死刑宣告されている」ようなもんだよね・・・、全く!資本主義経済社会では。
今日ではダメな発達障害者だけではなく定型でも、何処かちょっぴり不器用な点があったり、会社で皆一同に仕事をするってな事に対する強烈な違和感があったりすると、即ニート落ちになるケースが、後をたたないようであります。
このような現代社会においては、「定型ですら
適性を追い求めるのが困難になってきている」と、言えるでありましょう。
若者たちを煽って、ノマドやアフィリエーターになる事を奨励し、お金儲けをしている人たちも少なからずいるみたいだけど、実際にそれらをナリワイにして自活できている人は本当に少ないですよね。
そもそも学校教育自体が、「どうやって社会でお金を稼いでいくのか。それに必要な経営戦略や事務手続きとは具体的にどのようなものか?」ってな事を、これぽっちも教えてイナイのですから、大人になってそれらを一から身に付けるのは、非常にハードルが高くて当たり前です(おまけに大半の高校はバイト禁止で、また学生の方も受験勉強でそれどころではないし)
これじゃあ、昔から家で何かの商売をしていて商人としての勘が培われていない限り、個人でビジネスを始めるのは圧倒的に不利ですよ。
でも、このような不利が幾つも重なっても、「自殺しない限りは生きて行かなければならない」という、厳しく過酷な現実があるので、もう嫌になってしまいますよ、全く!
「う・・・ん、生きるっていうだけで、本当に難しくて嫌になって鬱!」って、このあわほと同じく思う方は、以下のメンヘラボタンをポチッと!腹いせに。
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