2013年3月19日(水)
先日あわほはマンションのエレベーターで偶然にも、子ども(♂)連れのアラサーぐらいの母親と乗り合わせになりました。
その子どもはあろうことか、エレベーターに乗るなりはしゃぎまくり、走り回った勢いでこのあわほに数回足をぶつけて来ました。
もっとも、子どもの方はあわほに足をぶつけているという感覚が全くない無礼な奴でしたが、さらに無礼極まりなのがその母親の方でありました。
さすがに母親の方には「またうちの子が暴れているなあ」という感覚だけはあったらしく、あわほの前で子どもを叱り始めました。
で、問題なのがその母親の態度。
「暴れたら他の人の迷惑になるやろ」「前にも暴れたらアカンって言ったやろ」ってな事を、その母親は子どもに向かって言い出したのでしたが、当の足をぶつけられたあわほの存在なんか完全無視で、ずっ~とうつむき加減で(こちらの方を一瞥することもなく)、エレベーターが下に降りるまで子どもに説教。
エレベータを降りても「うちの子どもが足をぶつけてすみませんでした」のひと言もないどころか、やっかい事から解放されたかのようにぱたっと説教が止み、何事もなかったように人の前をスルーして行ったのでありました(怒)!
子どもの方も、「うちの母ちゃんのいつものウルサイぼやきが終わった。やれやれ」ってな感じで、自分自身が怒られているって感覚がまるで無さそうでした。
母親がそんな態度じゃあ、子どもの方は「自分が怒られている」って自覚を持てなくて、当然ちゃあ当然ですよねえ。
だって、母親の方は「子どもが人に迷惑をかけているから叱っているのではなくて、叱っているポーズだけでも見せないときまりが悪いから、ただそうしているだけ」なのですから。
子どもっていうのは、感受性が強く、常に親の態度に敏感な生き物であります。
なので、「親がただ自分自身の体裁だけのために子どもを叱っている」となると、子どもの方は鋭くそれを見抜き、「何時もうちの母ちゃんが外ヅラを良く見せるためにだだそうしているだけだから、僕には関係ないや」ってな事を、経験としてインプットしてしまうのです。
このように、「子どもが叱られるのはただ親の外ズラやエゴのみ」って感覚で育ってしまうと、後々メンタルな問題を引き起こす可能性も大きくなって来るかもしれません。
確かに、親も人間である以上、誰だって時には感情にまかせて怒ったり、外ズラを気にして子どもを叱ったりするのは当たり前の事だと思いますが。
しかしながら、毎度毎度親にそのような感覚で接し続けられていると、「親が僕に説教するのは、全て親の都合ばっかり。だから何だか納得いかない事ばっか。親が自分自身の都合で怒っているだけだから、僕は全然悪くないっていうか、全く僕には関係ないじゃん!」って、感覚になってしまうかも。
かくいう私あわほの両親は、冒頭のエレベーターの件のような説教の仕方こそしなかったのですが、あわほを叱責する時は、もう百万パーセント「自分の体裁とエゴ」ってな感じで、凄まじいヒステリーをあげておりました。
そのくせ「言えば、子どもの不都合な点が治る」ってなふうに、うちの両親(特に母親)は思い込んで四六時中キイキイ喚いていたのですから、ホント始末に負えませんでした。
こっちに言わせれば、まず親に直して欲しいのは、「何でもかんでも自分の体裁とエゴのみで叱るその態度なんだよ!」ってな感じでした。
故に、何もかもが納得いかない事だらけになり、発達障害は水面下でさらに悪化し、親に対する憎悪も蓄積しまくり重度の愛着障害者になりました。
そして現在もあわほは、「両親から叱責された事に関しては、あわほには一切非がない」と、今でも正直そう思っております(たとえどんなにアダルトチルドレンだと批難されようとも!)
おまけに自分の体裁やエゴだけで子どもを叱っている親に限って、「アンタが将来困ると思って叱っているねん!」って言葉を連発している気がします。
こんなキモイ言葉を連発されれば、さらに愛着障害は深刻化します(経験者は語る)
とにもかくにも、「あからさまに自分のためだけに、無自覚に子どもを叱り続けるのだけは教育上よくないよ」と、あわほ同様思われる方は、小姑魂でぽちっと!
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