2013年3月10日(日)
先日うちで離婚危機が発生したことにより、重度の鬱状態になった私あわほは、何かの力に吸い寄せられるように、ある一冊の本を衝動的に本棚から取り出しました。
その本のタイトルは、「狂人三歩手前」(中島義道著・新潮文庫・2009年)
著者の中島氏は言わずと知れた超ネガティブ変人哲学者で、2009年まで電気通信大学で教授をしていたという経歴の持ち主でもあります。
何度読み返しても個人的に激しく共感し、かつ強く印象に残るのが、p.174~175の文章。
先日、慶應義塾大学の藤沢キャンパスを訪れ、福田和也さんのゼミで私の信条のようなものを話す機会に恵まれた。こういう場だから何でも言っていいんだろうと、つい「油断して」、私が「妻子とも一緒に暮らしたくはなく、父の遺骨も母の遺骨も、物体以上のものではありません」と言うと、会場の学生たちからずいぶん反発され、司会者はどぎまぎしていた。数日後福田さんに聞くと、その後三人ほど女子学生の精神が不安定になったとのこと。ああ、私は確実に世の中に害毒を流すのだなあと、再確認した次第である。
・・・中略・・・
(二00四年八月号)かくの如く豪語している中島氏は結婚して息子がひとりいるものの、家族とはコミュニケーション不全で、慢性的な不仲状態であるとのこと。
大学生になった息子さんは、ウィーンにあるアメリカンスクールを卒業して母親と共に日本に帰国したかと思うと、自宅から通えるにもかかわらず即ひとり暮らし。
息子の母親である奥さんとは今は一緒に住んでいるものの、殆んど口もきかず、食事も別々に取るという家庭内別居状態にあるとのこと。
もっとも中島氏の場合、家族とは不仲っぽいのだけれど、世間一般からすればかなり変わり者の息子に対してもすごく愛情と理解があり、何だかんだ言って喧嘩しながらも奥さんとは心が通じ合っているように読めるのがご愛嬌(注、まあ個人的な感想ではありますが)
ちょっと脱線しましたが、私あわほはこの中島氏の
「妻子とも一緒に暮らしたくはなく、父の遺骨も母の遺骨も物体以上のものではありません」という虚無的な家族観には大いに賛同するところで、あわほ自身も物心ついた時からずっとこのような感じであります。
あわほの場合、母方の祖父母は筋金入りの慢性的な家庭内別居兼不和状態で、長年仕方なく義務的に一緒に生活していただけ、(父方の家庭の事は殆んどよく知らない。祖母が父が乳児の頃に亡くなったという事を除いては)、またうちの両親に至っては家庭機能不全を通り越して、家の中が修復不可能なカオス状態であったのにもかかわらず、世間体と面倒クサ感情が大いに邪魔をして、昨年まで離婚せずじまいでありました。
であるからして、「家族だからといって別に無理して一緒に住まなくてもいいんじゃないの。関係が完全に破綻しているのなら、無理して家族関係を続けるより離婚するほうが断然マシ」というようなポリシーを根底に有するようになりました。
そして、周りの人たちの何気ない家庭の話を数多く聞くにつけても、強くそう思わずにはいられませんでした。
また昔から死生観に関しても、「死んだら全てゼロになり何も残らない」という感覚が強いので、遺骨も墓参りも大嫌いであります。
まあ中島氏の場合は、親に虐待されたこともなく、ましてや親に何らかの恨みを持っているわけではなく、おまけにイジメにも遭ったことがないのに、あわほと同じような感覚に陥っているのが不思議ではありますが・・・。
ともあれ、何処をどう脳内変換したら「家族なら当然一緒に住むべきだ。先祖代々の遺骨に敬意を払い墓参りにも当然行くべきだ」という考えになるのかは、もっと不思議で不思議で仕方がありません。
だって、家族といえど別々に暮らしている方が、毎日毎日いがみ合って暮らすよりも、精神的にもラクで物事もスムーズに行くことが多いだろうし、墓参りにいっても死んだ父母が生き返るなんてこともないのに、どうして世の中の多くの人はもっとこう現実的かつ合理的に考えられないのでしょうかねえ。
なんか世の中の人の大半は、「家族だからかくあるべき」っていう概念に未だに縛られ続けていて、それが家族関係をややこしく、融通性が効かないものにしている感じがします。
実家にいるときは、母親から彼女の友人の愚痴をよく又聞きしたのだけど、なかには「ワタシも夫から日々暴力を振るわれて嫌な目に遭って我慢しているんだから、アナタも夫の暴力には我慢しなさい!」っていう非常に醜悪かつ隠れた世論を代弁している類ものがありました。
うちの母親はバカなので、その友人の言葉を何の疑いもなくそのまま鵜呑みにしていたらしいのです。そして、あわほにそのことを指摘されてもなんの感傷もない、救いようのないバカなのでありました。
要するに世間の大半の人間は、「ワタシも家族関係で我慢ばっかりして苦しんでいるのだから、アナタもワタシと同じ苦しみを味わいなさいよ!そうじゃないとワタシが余計に惨めになるから!」と、言っているのであります。
このように日本人の家族観っていうのは、極めてファシズム的であります。
あわほも軽く別居しているぐらいの方が、衝突が少なく済むのが火を見るより明らかなのだけれど、なんせニートだからそうするお金がないのであります。
「自分の思想及び理想を実現するにはお金も必要なのがニート&ボンビにはツラいところだ~!」と、時々あわほ同様悲鳴をあげたくなる方は、腹いせにぽちっ!とお願いします。
追記
前回はいつもにも増してしょうもない記事であったのにもかかわらず、皆さまのご協力をどうもありがとうございました。
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