2013年2月27日(水)
50年後・西暦2063年2月27日・晴れ
80代になったあわほ老婆は天気が良いので、昼過ぎに近くの公園へ散歩に出かけた。
若い頃から、ろくすっぽお肌の手入れをしていないので、顔はしけた梅干しのようにシワクチャ。
姿勢も悪かったので、猫背がさらに悪化し、かっぱえびせんのエビの如く曲がり、その体を必死に支えるために杖をつく。
歯も虫歯でポロボロで、おまけに老化と円形脱毛症で見事なてっぺんハゲ。
そんなあわほ老婆はちょっと公園を歩いただけでヘトヘトに疲れ、ベンチに腰をかけて休憩。
ふと隣を見て、先客がいたことに気づく。
先客は小学校高学年ぐらいと思しき少年で、ワイヤーレスのイヤホンを付けパソコンを開き、何かを適当にみているって感じである。
毎日毎日暇をもて余しているあわほ老婆は、興味本位で少年のパソコンを覗き込み、あまりにも進化したパソコンに、思わず喚声を上げる。
少年の方もそれに反応して、顔を見上げイヤホンを方耳から外し、「えっ、何?」っていう仕草をしてきた。
もっとも、少年の方は内心ではさぞ迷惑がっているであろうが、対応は賢そうな外見に相応しくかなり落ち着いたものである。
その好意に甘えてあわほ老婆は、「パソコンで何をやっているの?」と試しに言ってみた。
「いま、学校の授業の録画を見ながら、ノートを取っているところだったんだ」と少年は言いながら、ノート開きになった自分のパソコンを親切にもこちらの方へ引き寄せてくれた。
再度覗くと、左は講義画面、右は専用ペンで自由にノートを取れるようになっており、さらに右下にはタッチパネルが付いているという仕様である。
「最近はホンに便利な世の中になったものじゃのう~。ホンに驚きじゃわい。でも今日は平日のだけど、坊やは学校へ行かなくてもいいのかい?」
「別に。まあ試験さえちゃんと点を取っていたら誰からも文句を言われないから、学校へは気が向いたら行くっていう感じかなあ」
「ひょっとして、学校で何か嫌な事があったりしたから、毎日は行かないのかい?」
「違う、違う。今の時代は全校生徒の約半分は僕みたいに毎日学校に行ってないって感じだよ、おばあちゃん。全く登校しない子も結構いるしね。まあ僕の場合は普通にやる事が多過ぎて学校へは行ってないって感じかなあ。学校の授業は遅いしつまらないから、スキップしたり倍速したりして、適当に流しているって感じかな。学校の薄っぺらい人間関係も好きじゃないしね」
その昔「ハッカーと画家」の著者・paul Grahamは、「学校は仕事で忙しくなって子供の面倒をみきれなくなった大人の都合で、子供を一か所に閉じ込めておくためにつくられたものだ」ってな事を、本の中で主張していた。
けれど、ネット社会が成熟すると「子供を一か所に閉じ込めて教育する必要性」っていうのが、あまり意味をなさなくなってしまったらしい。
そうは思いつつも、やはり年頃の少年が学校へも行かずに日々何をしているのかは、おせっかいな老婆としてはやや気になるところではある。
「じゃあ、坊やはいつも家で何をしているんじゃい?」
「ネット上にある学生用の無料講座を利用して、金融やマーケティングや世界情勢それに語学なんかの勉強をしている。あと趣味でゲームをしたりゲームを自作したりしているんだ」
「それって、俗に言う引きこもり状態じゃのう」と、あわほ老婆は虫歯でボロボロになった歯むき出しで笑った。
「いや、引きこもりっていうよりもソーシャルな感じ。ディスカッションは毎日誰かとやっているし、知り合いも世界中に普通にいるって感じだから」
「ほほ~う、でも外人とちゃんと喋るにはかなりの英語力がいるから苦労しているんじゃないのか?ククククッ!」
「そやぁ母国語じゃないから多少は苦労するけど、小さい頃から語学もネットで教育を受けているから大概の事は大丈夫かなあ。英語はかなり固まってきたから、特に今は中国語とフランス語にかなり力を入れているってところ」
「で、おばあちゃんはどのような小学校時代を送ってたの?」
「英語の授業すらなくて、大人になっても英語すらろくすっぽ喋れなくて・・・。あとはしょぼい国語や算数や理科や社会の授業があって、副教科は全くダメで。あととにかく集団生活や登校を強制させる学校がもう嫌で嫌で。結局学校生活で精神がマイッテしまって、何も出来ないニートになってしまったんじゃわい!」
「それって、全くダメじゃん。ハッハッハ~!学校生活なんかに重点を置かない今の世の中からすれば、そんな時代の事なんか全く想像がつかないよ、僕。そもそも意味のない学校生活で精神を壊してしまうなんて、もうバカだとしか言いようがないよ。そのせいで何一つ身に付けられなかったなんて、こりゃあ最悪だよ、おばあちゃん。ああもうこんな時間だ~!いっけねえ、家に帰ってゲームしないと、皆ネットに集結しているだろうし」
最後は無邪気かつ無礼にそう言い残して、あわただしく少年は立ち去っていったのである。
自分には何の技能も身についていなかったのだと、改めて身にしみる寒過ぎる80代のあわほ老婆。
あ~あ、疲れて杖つくのもホンにダリ~のう。
結果報告:学校生活の重度の心労やストレスは何一つとして有益なものを生み出さない。
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