2013年2月24日(日)
昨日溜まっていた藤沢数希のメルマガをようやく読み終えたあわほです。
そしたら急速にウツになり、今日は一日中寝込んでしまう結果となりました(苦笑)
藤沢氏主宰の恋愛工学の基本的見解によると、「恋愛は投資と同じで、脈のない恋愛はどこで損切り(ロスカット)するかを見極める事が肝要。デート代を出資しても3回以内で最後まで至らない場合は基本手を引くべし!」との事。
私あわほは非モテ人間であるため恋愛には殆んどご縁がなく恋愛云々以前の状態でありますが、対友人関係においてはこの「ロスカット」が出来なかったため、長年痛烈に痛い目ばかり遭ってしまいました。
なので、今日は対友人関係のフラッシュバックで脳内にバグが発生しまくり、完全に脳機能が停止してダウンで、朝から今まで完全に寝込んでしまいました。
人生を振り返ると、ワケの分からぬ嫌な友人たちにどんだけ振り回され続け、どんだけ時間や精神を無駄に浪費したかを考えると、もう情けなくて情けなくて、もう悔しくて、悔しくて・・・。
ある友人は、阪神大震災で被災しているあわほがバスの関係で遅刻した事で因縁を付けなじりまくり、おまけに奢らせるわ、またある友人は深夜に一方的に電話をかけまくって来て長時間愚痴につき合わさせるわ、またまたある友人は合コンを無理に強要し、そこで知り合った彼氏と別れたのも合コンを開いたあわほが悪いと因縁をつけまくるしect...。
その一方で、本当にあわほの事を思って接してくれた数少ない大切にすべき友人たちに、どれほど迷惑をかけ不快な思いをさせ、関係を台無しにしてきたことか。
要するに私あわほは、今までロスカットすべき友人を素早く処理しなかったために精神的ガタが来てしまい、大切にすべき友人たちを上手く大切にする事が出来なかったのです。
その根底にあるのは、「誰にでも好かれる人間になりなさい!」「自分の事よりも人の事を考えなさい!」という呪縛だと思います。
ことにうちの母親というのは、人から嫌われまくるあわほのような人間がとにかく大嫌い!っていうか、むしろそのような人間を非常に憎んですらおります。
「アンタは○○小学校でも嫌われ、○○中学校でも嫌われ、○○高校でも嫌われ、アンタはもうどこへ行っても嫌われるな!」と、高校生のあわほに向かって、さも憎らしげな顔付きで吐き捨てるように言ってきました。
また家族を前に空威張りをし続け、暴力をふるいまくる父親の口癖は、「自分のことよりもまず人様のことを考えろ!特にに女という生き物は自分の事しか考えない愚な生き物だ!」でありました。
そんな調子の両親に育てられたのもだから、「人に嫌われるのはとても恥ずかしくて悪いこと」「自分の事を考えるのは愚かな人間のすること」だという思考回路になってしまいました。
さらに学校でも、うちの両親と同じような思想を押し付けて来ました。
その結果あわほは、「誰にもかれにでも好かれたい!」「嫌われる自分は恥ずかしくて悪い存在」「とにかく自分よりも好かれている子の意見が正しい」と、心底信じるような非常に頭のオカシイ10代の若者になってしまいました。
そんな若者になってしまったものだから、周りの嫌な友人たちは、この分かりやすく都合のイイ感情を利用し、思う存分あわほの時間や精神を搾取して来ました。
こんな関わり方しかしてこなかったので、いざまともな友人が現れたときは、どうやって接したらいいのかも分からず、またヘンに甘えたり感情を爆発させたりしてしまったので、結局彼女たちを永遠に失うという残念な結果になってしまいました。
今にして思えば、「人と関わることの出来る能力が全くないうちは無理してかかわるな」「誰からにも好かれたいという感情は危険極まれりで身を滅ぼす」「友人が初めて出来るのが大人になってからでも全然問題はない」「友達が量より質なのは基本中の基本」「自分の価値が分からない友人には用はない」「嫌われるよりも嫌な奴とかかわる方がはるかにダメージが大きいので、それだったら独りの方が断然マシ」「自分の事をちゃんと考える事が出来ない人間に、人の事は考えられない」と、胸を張って言えます。
目下あわほは友達0だけど、あんな百害あって一利ナシの嫌な友人たちとかかわっていた頃よりもはるかに幸せだし、心の余裕も幾ばくかは出でまいりました。
結論:「ロスカット」術を小学生の頃から身につけ、嫌な奴らをハジキ飛ばし、快適な人生を送りましょう(大人になってから身につけるのは大変だし、蓄積された負の遺産も大きいので)
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損切り=「ロスカット」のところ誤って「コストカット」と記載しておりましたので、訂正しました。
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