2013年2月21日(木)
昔あわほは、図書館で酒井順子の「29歳と30歳のあいだには」(新潮社)を借りて、いたく共感した経験があります。
酒井氏も子供の頃このあわほ同様、周りの女子たちが赤ちゃんや小さな子供を「カワイイ~!」って愛でるのを見て、「超ウザ~ッ!」と、直感的に思ったらしいのです。
酒井氏はそんな自分の事を、「子供のくせに子供の事が嫌いな子供」だったと評しております。
あわほも正しく酒井氏と同じメンタリテイを持つ子供で、小学生の遠足で赤ちゃんや小さな子供を目にするなり、「きゃあ~、カワイイ~!」って歓声を上げまくる周りの女子たちの理解に苦しみ、また彼女たちの事を不可解に思っておりました(現在進行形)
だって、赤ちゃんや小さな子供っていうのは声がキンキン響いて煩いし、泣くとはた迷惑な爆音もいいところ。
「こんな奴らを一体全体どうやったら可愛いと思えるんだい?」
これが、私あわほの長年の疑問であります。
なんか世間では、「子供嫌いになる奴らは養育環境に問題がある・本当は子供好きだけれど経済的事由により子供を諦めざるを得ず、強引に子供嫌いになろうとしている」なんて思われているみたいで、大変遺憾であります。
あわほ的見解によれば、
小学生の頃から生理的に子供が嫌いなタイプの人間は、それが本能であって、養育環境・経済的事由もへったくれもありません(キリッ!)もっとも世間様は、多数派の自分たちと違うタイプの人間をことごとく排除したがる傾向があるみたいで、真のnon-children派の私たちに色々とあらぬイチャモンをつけてきます。
確かに、あわほのような機能不全家庭で育ったタイプにこういった批判を向けると、もっともらしく聞こえますが、酒井氏のように養育環境も社会性もスペックにも恵まれた人間には全く通用しません。
さらに言うと、
「どんな環境や経済状態であれ、自分を人生の中心に据えるポリシーの持ち主の人たちは、総じてnon-children派が多い」かと存じます。
その昔中村うさぎはエッセイで(注・タイトルはちょっと忘れてしまいましたが)、「自分が思うように生き、考えたいように物事を考えようとすると、どうしても時間と手間がかかってしまう。そのポリシーに忠実に生きようとすると、子供を産む選択肢はどうしても自分の中から消えてしまう」ってな事を書いていて、これまたいたく共感した覚えがあります。
またそのエッセイには、「うちの母親から、アンタを産んだから歯がボロボロになったって、子供の頃よく言われた。実際に歯がボロボロになった事と子供を産んだ事には相関性がないって、大人になってから分かったのだけど、それでもそんな代償を払ってまで子供を産むのは、まっぴらゴメンだ~!って強く思った」ってな事も書いておりました。
あわほも子供の頃祖母から、「おばあちゃんは6人も子供を産んだから、歯がボロボロになってん!」ってな小言をよく聞かされ、「絶対に自分は子供なんか産まないぞ~!子供なんかに自分の養分を吸い取られてなるものか~!」と、中村うさぎと同じような心境になってしまいました。
私あわほは酒井順子や中村うさぎみたいな才能や社会性に全く恵まれず、細々とニートをしている非常に情けない身の上ではありますがそれでも、どうでもいいチンケな事を考えたり、朝寝坊をしたり、オカメインコののぶりん(♂)の下僕と化し思い存分心ゆくまでお伴をするのは,大変貴重な日々の日課であります。
かたや、温かい家庭に育ったうちの夫も、「自分のワガママな性格を貫き通すためには、子供はいらないな~!」って、きっぱりと言い切っております(確信犯)
「なんでちゃんとした家庭に育った自分が、あわほのように滅茶苦茶な家庭で育った人間と同じ価値観になるのか、僕はいまだにさっぱり分からん!」っていうのが、夫の長年の疑問。
ともあれ、「子供嫌いを養育環境や経済的事由の問題として片付けるのは、もういい加減にしてくれよ~!」と、あわほ同様苛立っておられる方は、賛同ボタンをポチッとお願いします。
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