2013年1月31日(木)
最近「メディアリテラシー」という言葉が流行っているみたいですね。
さすがにそれを大学の授業として取り入れ、講師陣がぐだぐだとウンチクを垂れ流すのは、だだのオタクの楽しみそのままって感じで、何か意味があるのかと甚だ疑問ではありますが・・・・。
まあそういったどうでもいい愚痴はともかく、
親に全くメディアリテラシーがないと、子ども(特に不適応児)は大変嫌な思いをします。
発達障害やニートで中年になってもウツ症状やフラッシュバックが強く、未だ社会不良症候群から抜け出せない人の多くは、「メディアリテラシーのない親に育てられたといって過言ではない!」と、私あわほは思います。
中年になっても社会不良症候群の最中にある人のブログやコメントにほぼ共通するのは、1・「学校へ無理矢理行かされて精神がオカシクなってしまった」、2・「普通の子とは異なる点が多くてなじられまくった」、3・「友達ができにくいのを批判された」、4・「夫婦関係が破綻しているのに離婚してくれず、さらに家庭環境が悪化した」といった類のことであります。
ロスジェネ世代(中年)が子どもだった頃の大衆メディアは、口を揃えて以下のようにのたまわっておりました。
1・学校へ行かないのはよくない(登校拒否をさせる親は甘やかしの典型である)
2・普通の事が普通に出来ない子はだだの甘ちゃんで、努力と根性が足りない(親が甘やかしているから何も出来ない子に育ってしまうんだ)
3・友達の数は多ければ多いほどイイ(「友達百人出来るかな」の歌の合唱)
4・離婚するのは恥である(子どものためには親がふたり揃っていて然るべき)
かくいううちの両親はこういった大衆メディアの論調を無批判で受け入れたがために、あわほを精神的追い詰めただけではなく、自らの精神や生活も破綻させてしまいました。
世間でまかり通っている世論は、大体誰かの都合良く出来ていて(ex,教育団体・政治家・マスコミ各社・スポンサー企業・支持する読者層・その時代の風潮ect...)、それらの全てが自分や社会にとってもメリットがあるものでは決してない!
このような視点が皆無なうちの両親は、新聞や大衆受けする週刊誌や本の論調を全て真に受け、耳を貸すのはその劣悪なコピーの教師やオトモダチの意見ばかりでした。
殊にうちの母親は広告代理店に勤め新聞広告を書いていたのにもかかわらず、新聞のご都合主義や欺瞞性を全く見抜けないなんて、メディア音痴もいいところです。
おまけにうちの母親は、長らく原因不明のウツで苦しんでいるあわほの枕元に、「ウツは気の持ちようで治る!」「ウツは好きな事のみをすれば必ず完治する!」などと書かれた新聞記事やキャッチコピーを、終始切り取っては、嫌がらせのように置いていきました(毎回赤字マジックで線引きもされていた)
うちの父親の方は新聞どころか「週刊ポスト」の主張は全て正しいと信じきっており、あろうことか、「週刊ポスト」を読んでいる俺様は他の奴らより頭がイイと、頑なに信じきっておりました。
またうちの父親っていうのは中途半端に読書家で、オジサン受けを狙ったウンチク本や歴史書・株価の本の主張も無批判に受け入れ、かような本を読める自分の頭の良さを自画自賛しておりました。
しかもそんな父親をうちの母親は、「読書家で頭が良し」と思って頼りにしていたんだから全く始末の負えません。
このようにうちの両親は大衆メディアの毒にどっぷりと漬かった状態でありました。
ちなみにあわほが養育環境の悪さを母親に訴えた時に返ってきた答えは、「他の皆と同じような行動をとらなきゃ不安で不安で仕方がなかってん、皆と同じ方向じゃなきゃ嫌だってん!」でした。
「そしたら、はじめから発達障害の子なんか産むな!」というハナシですよねえ(もっともうちの母親なんかに育てられりゃ、定型でもオカシクなっていたとは思いますが・・・)
結論:メディアリテラシーがない親は、少数派にいる事に耐えられないため、育児の融通が全く効かず、子どもを苦しめまくる。
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