2012年10月10日(水)
かれこれ20年以上世間サマは、「自己肯定感を強く持て!」「自己評価を上げろ!」「ポジティブな自己評価をしましょう!」「自己卑下はいけません!」と、もう煩い!ウルセ~!
かくいうあわほも20代後半ぐらいまではとてつもなく低い自己評価を改善するために自己啓発本などを読んで、「自己評価を上げるためのイメージアップトレーニング」なるものを実践していたワケでございまする(イタイ!)
でもその結果は散々たるもので、イメージトレーニングを重ねれば重ねるほど顔の表情やしぐさは不気味で薄気味悪くなるわ体はさらに硬直しまくるわの悲惨な状態。
おまけにヘンに触発されたせいでテンパッた行動をしまくり、周りの人間は引く!引く~!引きまくり~!
もっとも、「自己啓発本におきましてはマイナスの自己評価はいかなる時も決してしてはならぬ悪!」でございますから、周りのドン引き状態から敢えて目を逸らし続けるという行動をもとってしまいました。
そうなると自分がつまずいていることにも超鈍感で無感覚になるため、さらにムダに過剰に累進的に複合的に雪だるま的に、もうあっちこっちで衝突しまくり転倒しまくり負傷しまくる~!(「犬が歩けば棒にあたる」どころの生易しいハナシではない!)
それでいて内心では無意識のうちに「自己評価が思うように上がらない!自己肯定感が全くあがらない~!」と悲鳴を上げまくり、「もう自己評価が上がらない事自体が強固かつ執拗な強迫観念と化している!」ワケでございましたので、もうなにをするにも八方塞がり状態で始末に負えない状態!(手元に残ったのはただただウツが酷くなるという惨劇のみだった)
そんな20代後半のある日ふと本屋に立ち寄り、中村うさぎの「生きる」という本を手に取りました。
それは中村うさぎが読者の悩みにこたえるという形式の本で、その中には自己評価の低さで悩み続けている一読者からの相談がありました。
かなり昔の話で本はもう手元にはなく正確に文章を再現することはできないのですけれど、「自己評価なんて低くて大いに結構!自己卑下感情があるから色々と物事を考えることができるのだよ、諸君!答えなんてでなくてもトコトン物事を考えることが何より大切!かくいう自分も自己肯定感なんてものは全くなく、自己評価なんてものはすごく低いのだよ、諸君!」って、いうような主旨の事が書いてありました。
これにはもう目からウロコでスゴイ衝撃を受けました(「一生ついて行きますよ~、うさぎ女王様!」ってな感じ)
この日を境にあわほは自己評価の低さなんてものを殆ど気にすることは無くなり、逆に自己評価を低下たらしめている事象の方に自然と目が向くようになりました。
人間関係なのか、障害特性なのか、性格や行動のせいなのか、コミュニケーション不足のせいなのか、価値観や感覚がが多数派とは違うせいなのか、養育環境のせいなのか、あるいは時代・世代や社会の風潮のせいなのか、それらの原因のどれとどれが複合的に絡みあっているのかect.....脳タリンなアタマで色々ごちゃごちゃと考えた。
いくらこんなことをぐちゃぐちゃと考えても時間ばかりムダに食って(考えれば考えるほどドツボにはまり答えが余計に分からなくなる)、一銭の得にもならないんだけど、それでも「考えるという行為」そのものが、あわほ的には精神安定に大いに役立っているって感じかなあ。
もっともごちゃごちゃと色々考え続けることで、対人トラブルも突飛なわけの分からん行動の数々も以前に比べれば随分と減ったしね。
そしてちょっとセンスのある人は概して、「人生なんて所詮暇つぶしに過ぎないから、人に迷惑があまりにもかかり過ぎない程度だったら、各自好きなように生きればいいじゃないか。べつに働きたくなかったら働かなくてもいいし!」と、おっしゃっておりまする。
こういう事を前提にすれば、「まあグダグダとどうでもいいことを考え続けて、人生という暇を潰すのもアリかな」って、いう風に思えてきたりしまする。
それに比して自己啓発本を書くような輩ときたら、何と無神経で傲慢ちきで自分のナルシズムを何を考えるともなくただ単に垂れ流す奴らばかりであろうか!
「そんな奴らは電流でも食らってアタマの血行を少しでも良くした方がいいじゃないの!」とあわほ同様思われる方は、電流スイッチをポチッと!
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