2012年9月26日(水)
先日私あわほが、他の方のブログでちょっぴり齧った発達障害児に関する情報は以下のとおり。
「最近の理解ある親御さんは自分の子供の発達障害による不適応をちゃんと受け入れ、子供のために学校以外の居場所をちゃんと作ってあげる努力をしている。しかしながら発達障害女子が学校で不適応を起こした場合、(その他の場所での適応は良好であろうが)学校で受け入れられない自分に対しての嫌悪感が凄まじく収拾不可能な状態になっている。それで親が登校拒否を進言しようとも、発達障害女子の自己嫌悪感は決して薄まることはない。女子の場合男子よりもさらに強度な共感性が求められるためこのように心理的な問題が深刻化するのであろう」と。(あわほ意訳)
う~ん分かるなあ、発達障害女子たちのこの気持ち。
だって小学生中学生の場合単位制の学校なんて選びようがないから、特別支援学校に通うか特別支援教室の中にどっぷりとつかったりしない限り、通常の学校教育は避けて通れないものがあるからね。
で、この学校教育というのは「誰彼かまわず同調圧力をかけてくるもの」だと相場は決まっており、その中にいる他の人間たちも複数間の人間関係を好むため(特に定型女子は)、発達障害女子がもはや自分には逃げ場所がないと感じ自己嫌悪感で一杯になるのも無理はない話と言えます。
そしてどんな綺麗事を並べても今の社会システムや観念自体が「学校=社会の窓口」になっているという事実は否めません。
そんでもって学校がどんな所かとひと言でズバリ言いますと、
「社畜養成所」
しか~し、待って下さいよ、世間さま!
今や男子の労働人口の約20%、女子においては過半数が派遣社員というご時世じゃあ~りませんか(驚)!
その上大学新卒ニートももはや珍しくも何ともなく、派遣社員になり下がっている大半も日本の前途を担う若者たちなのであります。
つまり、「現代において学校というものは社畜養成所としての機能をもはや果たさない、旧態依然とした権威を振るうだけのただの過去の亡霊であります。いわば明治の世になって廃刀令が出ているのに依然として刀を振りまわし続けているおバカなお侍さんと同じであります」
あっ、そうそう、学校というシステムができたのも明治の世になってからですよねえ。
それ以前は武士の家でこそ躾や勉強(藩校)だのって結構煩かったらしいのですが、庶民の子は寺子屋で適当に鼻クソをほじったりしていたワケですからのう(注、寺子屋は一斉授業ではなく、師範から与えられた課題を各々がマイペースにこなすという個人授業方式である)
たった百年ちょっとで学校教育はもう機能不全をおこして崩壊寸前状態になっていますがな(少子化で生徒の数が減っているのにイジメの悪質さ陰湿さは深刻化しているというオマケつき)
あと数十年すれば、就職できない若者だらけ、おまけに次世代を担う人材育成に失敗し続けて倒産しまくる大企業が続出しまくりの世の中が来ると思われます。
その時になったら、誰も彼もが「前世代の社畜養成型学校教育は僕らからすれば、あの第二次世界大戦時のファシズムと同じくらいチャンチャラおかしいよねえ~」と口を揃えて言っていることでありましょう(苦笑)
もっとも私あわほは現在30代半ばですが、小学校の頃(80年代半ば)はまだ共産主義国家の親玉のソ連がアメリカに対する強力な勢力として世界に幅をきかせておりましたし、陥落不能の絶壁かと思われるベルリンの壁もちゃんと存在しておりましたのよ。
それが、90年代(注、ベルリンの壁崩壊は正確には89年)になり両者ともあっけなく崩壊した。
ほんとあの80年代の頃はあんなのがこれほどまでにあっけなく崩壊するなんてよほど先見の明がある人以外誰も想像だにしていなかったのじゃないのかなあ(少なくともあわほちゃんは自分が生きている間はソ連やベルリンの壁は崩壊しないと思っておりましたわい)
そんでさらに戦前生まれの世代になりますと、「天皇が神から人間になるなんてほんと思いもしなかった」とよく云いまする。
このように絶対永遠不滅かのように思われる社会システム(情勢)や観念がほんとあっけないほど短期間にコロコロと変わる。
それに比べれば日本の社畜養成型学校教育なんて超チンケなもので、そのうち勝手に風が吹いてフッ飛ばされる程度のものだから、老いも若きもそれに囚われ過ぎたほうが負けと思う方はポチッと事前にパラシュートのご用意を!
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