長引く不況の中、ここ数年来ずっと世間では、節約!節約!節約!ぜいたくは敵だ!働かざるもの食ふべからず!といった空気が、あちこちにはびこっております。(とくに、働かざるもの食ふべからず!はニートを秒殺する効果絶大である)
テレビでは、「芸能人節約一万円生活」がロングランヒットしており、女子アナは、インタビューで「私のインナーはユニクロよ」と、かわいげによくおっしゃっております。
ユニクロは、今やデフレの帝王たる存在で、主要都市では同じ街中に3軒も4軒あるのが当たり前、といった盛況ぶりであります。
ちなみに、私の実家の近くには、徒歩5分圏内にバカでかい巨大なダイソーが、3軒も所狭しと軒を連ねております。
こんなご時世でありますゆえ、セレブも杓子もユニクロを誇らしげに愛用しております。
また、芸能人、超見栄っ張りな金持ち以外は、ブランド品をジャジャラと装着するのを控え、一般庶民レベルにおいては、ブランド品のパッグを身につけている人を見かける機会が、めっきりと少なくなりました。
しかも、女子の必須アイテムである化粧品に費やす経費も大幅に削減され、コスバの高い低価格商品がちまたで、大ヒットしております。(化粧をほとんどしない私がいうのは、いささか変な話ではあるのだが)
そんな中、少しでもぜいたくをしようものなら、これはもう、即、「世の敵である」と、認知されてしまいます。(注、ニート、ワープアに対しては、敵度数が百倍増)
これは、もう我々発達障害者やオタクにとって、悲劇以外の何ものでもありません。
なぜなら、我々は金があろうとなかろうと、自分が納得するものや興味の対象となるものに対しては、ここぞとばかり、資本を投下するという癖を有しているからであります。
しかも、躁モードにかかると、買いに買いまくり、気づいたときには、サイフの中がスッカラカンで、カードの支払いのみが残ります。
.興味の対象となるのは、人さまざまで、ゲーム、フィギア、プラモ、マンガ、本、切手、コイン、ワイン、服、ジーンズ、AKB48のCD、ect.....と、例をあげるともうキリがありません。
かくいう私も、この癖の持ち主で、ワイン、食費、鳥のエサ(1羽なのに)に資金を集中投下します。(ムダな買い物多々ありで、人からはエンゲル係数が高いヤツだと、昔からよく言われる)また私は、子供の足音や声に極度に過敏なため、そういうところには住めず、故に家賃はやや割高になります。(背に腹はかえられない)
その結果、うちの家計は常に赤字(黒字が出た月なんてほんと、奇跡的である)
いつも、サイフはカツカツ!将来の蓄えも殆どナシ、ホンマどうなるねん?って感じであります。
こんな我らは、資本主義経済に他の誰よりも(ケタハズレの金持ちを除いては)よく貢献していると、私は思います。
なんせ、涙ぐましく身銭を削りつつ毎月赤字を出しながらも、けなげに消費をし続けているのでありますから。
我らが消費をすると、そこに利益が生まれ、それにより社員にも給料が支払われ、それで支払われた給料は、また消費に還元されて循環して、経済が回り続けるという、資本主義の原則が発生するわけでございます。
なのに、経済が原則どおり回らない!おかしい!
考えうる原因は、我らの身銭を受け取った世の定型発達者の方々が、お金を使わないからであります(使い古されている文句で恐縮でありますが)
彼らは、我々に比べば相当マシな給料を受け取っているのにも関わらず、一向にお金を使おうとせず、食費も衣料品も化粧品も交際費も住居費もすべて総カットでございます。(注、なぜか、彼らが真っ先に削ろうとしているのは食費である)
それで、我らがちょっと食事や好きなものにお金を使うと、「ちょっとは考えろ!」「ろくに働いていないくせにナマイキだ!」などと、彼らは総コウゲキして来ます。(まれに、仲間うちコウゲキをしてくるヤツらがいるが、それはともかく)
彼らの言い分は、「この不況で皆が苦しんでいるときに、なにひとりだけぜいたくをしているんだ!」とか、「この不況を生き抜くということを少しは考えろ!」であります。
ようするに、彼らは「皆が苦しんでいる」と、つまり「空気」でものを言い、「不況を生き抜くため」と、何気ない漠然とした不安でものを言い、それ故、タンス預金を増やすことで、経済をとてつもなく悪化させているのです。
それプラス我々を攻撃することで、さらに消費を悪化させようとしている(無意識的に)のでございますから、本当にたちが悪うございます。(その結果、今まさに消費税がUPしようとしているのでもう最悪!)
「弱い日本の強い円」(佐々木融著)でも、日本がデフレであるひとつの大きな要因は、たとえ日本企業が海外で金を稼いで来て、それを国内の社員に還元しても、彼ら(社員)がそれを消費しないことにある、と述べられています。
そもそもこの現代における大不況は、消費経済それ自体が、世の定型発達者たちの空気に非常によく左右されやすいことに原因があると私は考えます。(チンケな自論で恐縮でありますが)
例えば、私が高校生や大学生の頃は、ブランド品のバッグが大流行でありました。
ことに、大学のゼミでは、2人を除く女子全員が、プラダのバッグかリュックを所持していました。
ちなみに、その例外は私と、あとエルメスの布バッグをちゃっかりと所持していた女子1人、でありました。
当時(1990年代後半)、工業繊維を原材料としたプラダのバッグが爆発的に売れており、テレショッピングもネットも広告も街中もプラダ一色で、持っていないと恥ずかしいという風潮がありました。
そのころには、もうバブルもハジケテ不況に突入していましたが、プラダのバッグで、何とか不況が持ちこたえているような錯覚さえいたしました。(但し、iphoneと同様、プラダが爆発的に売れても、日本企業にとって殆どもうけにはならないんだけどね)
そして、皆にプラダが行き渡り(但し、私には回って来なかったのだが)飽和状態になりますと、世の購買意欲が一気に低下し、それを手にする人たちが非常に少なくなりました。
その後が、現代に続く長引く不況であります。
こうなると、今までプラダを買っていた人たちは、プラダから一挙に急降下して、ユニクロに朝から列をなして、殺到するようになります。
そんな彼らの行動により、ますます世の中にお金が回らなくなるのは、当然といっちゃあ当然であります。
それに引きかえ、発達障害者やオタクといった我らは、納得するものや興味の対象となるものは、世の空気におかまいなしに手堅く買い続けるので、消費経済にとても貢献していると言えます。
ただし、最近では、プラダにとって代わり、アップルのiphoneやipadが、世の大ブームとなっております。
ことに、iphoneの方は持っていないとちょっと恥ずかしいかなあと、いう気さえしてきます。
しかも、その価格帯は、プラダの10万円と比べ4万円程度と、かなりお安うございます。
しかしながら、iphoneの寿命は、せいぜい2年ぐらいなので、買い替えにより新たなる需要が生まれます。
ゆえに、iphone購入は、プラダのバッグを2年そこらで買い換える行為とさほど変わりありません。(但し、ブランド品の種類は、多少異なることアリであった)
まあ、値段こそ、プラダの方が高いのですが、iphoneが老若男女を問わず、ターゲットとなる点において、さらに上手であります。もっとも、iphoneは、プラダに比べ実用的で便利かつオシャレでvivid感までも兼ね備えています。
また、故スティーブ・ジョブズのカリスマ性にも支えられて、熱狂的なファンも数多くいらっしゃいます。
しかし、悲しいかなあ、プラダもiphoneも外資系で、日本企業にとっては、収益減になる天敵であります。(当たり前のことばかり大げさに書いてスミマセン)
さらに悪いことに、世の人たちは、プラダや(90年代後半、プラダと服を買うために、昼食代をケチリ弁当持参で、水筒までキャンパスに持つ込む女子が私の周りにゴロゴロいた)iphoneには(但し、今は服代もカットである)、空気に流されてお金を使うくせに、その他はほとんど使いません。
おまけに、その人たちは、飽和状態になったり、ブームが去ったり、歳をとったりすると、一切お金を使わなくなります。(不況がさらに深刻化)
そんな世の空気に流され、不況が深刻化する中、真っ先に会社社会から締め出されるのは、ノンギフィドな発達障害者なのであります。
しかも、我らは大いに消費を通して経済に貢献しているのにも関わらず、多少お金があるのに消費に殆ど貢献する気がない世の人たちから、コウゲキされ痛め続けられます。
なんか、不器用ながら普通に労働意欲もあり、かつ断続的な購買意欲も生来的に兼ね備えている我々に世のお金が回ってこないなんて変なハナシですよねえ。
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