2013年9月13日(金)
どうも、”友だちのいない慢性的嫌われ者”のあわほです。
こんなあわほにも励ましのポチやコメントを下さる皆さま、いつも心から感謝しています。
「モノズキもいるんだな・・・」
オババになって、ようやくそう実感している次第であります(有難や~。南無阿弥陀部南無阿弥陀部・・・・・・・・・)
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今回も”嫌われ者”ネタ。
”
世間は「友だちのいない」嫌われ者を猛攻撃”その理由をみっつばかり自分なりに考えてみました。
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(1)皆”所有による苦しみ”に耐えられない。
ーー「貧乏入門」(小池龍之介著. ディスカヴァー・トゥエンティワン. p.42-43 )-引用抜粋ー
私たちは誰しも、常に無意識のうちに、「自分はこれでいいのだろうか?」という問いを自分自身に発しています。小さな不安という「苦」をひそませています。そして、「それでいいんだよ」という容易な答えを求め、「安心」を得ようとします。
でも、ただありのままの自分自身を自分で認めるのは、非常にむずかしい。とても不安です。そこで、持ち物によって、それを支えようとするわけです。
人間関係も持ち物です。ところが、やっかいなことに、持ち物が増えると、その分不安も増えます。皮肉なことに、不安を解消するために増やした持ち物が、新たな不安を呼ぶのです。
かくして、私たちは、もっともっとと、多くの物を所有しつつ、心を混乱させていくのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用抜粋終わり
私あわほが思うに、”所有に伴う苦しみ”をまぎらわすため、人は、”もとから友だちを所有してない奴”を、「こん畜生~、オマエだけ身軽な思いをしやがって~。ムカツク~!」ってな心境で叩くのです。
さも正論らしく聞こえる、多数派特有の屁理屈を叩きだしながらね。
この手の屁理屈は、あまりにも長年世界中で無意識に受け入れられてきたので、普段は賢く鋭い意見を言う識者であっても、殆んどこれに異を唱える人はいません。
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(2)皆誰しも”自分よりマシ”と思える奴を見ることでしか、安心感を得られない。言い換えれば、”他人の不幸は蜜の味”って表現になるのかな。
そもそも皆人間である以上、何かしらの劣等感を抱え込んでいるので、否応なしに”自分より上の能力の人しか目に入らない。
学校でも社会でも自分より成績優秀・容姿端麗な人物が、まず真っ先に目の中に飛び込んでくるという現象。
そうこうしているうちに、「自分があまりにも惨めで可哀想。もう生きるのがイヤ。辛い。苦し~い!」と、なってしまうのですね~(落ち込んでいるときは尚更)
自己嫌悪によるこの苦しさから逃れるため、人は、「自分より(スクール又は社内)カーストが下&友だちがいない奴」を槍玉にあげ、嘲笑・嫌がらせ。はたまた陰口を叩いたりします。
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(3)”ダメかつ質の悪い奴”は、自分よりさらにカーストの低いダメ人間(最下層)を思いっきりボコる。正直言って、私あわほに危害を加え続けてきた奴らには、”ダメかつ質の悪い”タイプが多かった。
奴らは、「自分もダメでやや不適応気味」
当然ながら奴らも、学校や社会人生活において、自分より上のカーストに属する人たちの存在により、日々肩身の狭い思いをしている。
そうなると、奴らが僅かながらでも優越感を感じボコれる相手は、もう「ガチ不適応で友だちのいない人間」しか残られていない。
そこへ日頃の奴らの鬱憤・不満が一局集中。
奴らは、自らの行為を正当化すべく尤もらしい屁理屈を捏ね、常時最下層を虐めからかったり、毎日のようにウザイ説教を垂れ流してくる。
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結論:
(1)(2)(3)のコラボにより、「友だちのいない嫌われ者」は、社会的にぽち~っと!叩かれる仕組みになっているのです。
解決策:地道かつ焦らずゆっくりと、真のBBA(ババア)性をゲットするのみぞよ~!
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