2014年2月24日(月)
「おばあちゃん(あわほの祖母)は、小学生の頃からわたしがウチに連れて来る友達を見て、いつも気に食わなさそうな顔ばかりしてたんだよ」
うちのアスペな叔母(あわほの母の妹)は、未だ悲しそうな表情を浮かべながら、よくこうぼやくのである。
「なんか、おばあちゃんの遺品である女学校の卒業アルバムを見てたらさ、”明らかに自分の友達ではない美人でいかにも優等生って感じの同級生の写真”が大事そうに挟まれていてね。”自分自身がそういう美人優等生と友達になれなかったから、娘にはそんな人と友達になって欲しいという願望が強くあったみたい”だね。こっちとしては、かなり凹んでしまったよ」
かく言うアスペな叔母は、「小学校の頃から(軽度とはいえ)学校不適応症状に悩まされていた」らしい。
「友達の数は少なかったし、みなどこか暗いタイプ。クラスのすみでいつもモジモジしていた。自分はどうしてこんなにも不器用で、考え方も周りとは全然合わないんだろう...。ずっとそのことで悩んでいた。おまけに、”ワタシはアンタのことが、大っ嫌い!”と書かれた紙まで手渡しされたこともあったりして...」
アスペの叔母のこんなハナシを耳にする度、さも自分が同じ体験をしているような感覚に陥ってしまうあわほ。
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ここから先、会話がさらにヒートアップ!!
あわほ:「なんか、おばあちゃんって、人を見る目がホント無いよね。わたしが小学校の頃、紀子さまブームでさ。やたらめったら紀子さまのこと褒めまくるんだよね。”美人でお嬢様で性格もすごく良さそうだ”って、言うようにね。そんなのは、あくまで紀子さまから流れてくるイメージに過ぎないのに。学習院の内部生だったコの話によると、紀子さまは大学生時代あやの宮さまの彼女であることを周りに自慢しまくっていたんだってさ」
アスペな叔母:「そうそう、おばあちゃんは世間や周りがつくり出すイメージをそのまま無批判で飲み込んでしまう癖が強いよね」
あわほ:「おばあちゃんの姉で、体裁を取り繕うことに血道をあげまくり、異常なほど自分の子どもや孫自慢をしてくるいかれたクソババアいるじゃん。そのババアのことを、おばあちゃんったら、”あの人は人のいいところしか口にしないから、人生が上手くいっているねん”と、ほざくんだよね。そのクソババアのことを美人だったと、瓶底メガネをかけ醜態コンプレックスを持っていたおばあちゃんは、褒め称えていたしね。ホント、アタマの中ジューショウ!!」
アスペな叔母:「わたしも、あのクソババアことホント心底ムカツク!!うちの息子が生れたとき、彼女に息子を見せたら、顔を思いっきり背けたまま、お金だけをポンと差し出したのよ。めっちゃ感じ悪かった。あのクソババアは他人にはホント冷淡で、ひたすら身内自慢することしか能がないよね」
あわほ:「おまけに、おばあちゃんは、そのクソババアの薦めで、アタマの中がさらにバカかつオメデタクなるような、新興宗教にどっぷり浸かってしまったりなんかして、ホント始末におえない。クソババアの方は、何年かしたらとっとと退会してしまったけど、うちのおばあちゃんはその後もどっぷりだったしね」
あすぺな叔母:「おばあちゃんは見合い結婚で、元から全くおじいちゃんのことが好きになれず、結婚生活もいさかいばかりで悲惨そのものだったから、新興宗教のようなものにすがりつくしか他に術はなかったんだろうね」
あわほ:「おばあちゃんは、元から優等生憧れ幻想が強くて、その上新興宗教によってその幻想が強くなってしまったから、子どもが色々と大変な思いをするよね。Yちゃん(注・アスペな叔母のことをあわほはこう呼ぶ)は、おばあちゃんの期待に添えるほど勉強も出来て、お顔もちょっぴりキュートで、うちの母親みたいな目に余る行儀作法の悪さも無かったから、まだ助かったと思う。うちの母親なんか、顔がメッチャ崩れたドブスで、勉強出来ない、ごはんの食べ方ひとつとっても、ネコ以上にネコ食い。気が狂ったヒステリーき○がい」
アスペな叔母:「そりぁ、わたしはアンタの母親に比べればだいぶマトモだけど、それでも、おばあちゃんの優等生憧れ幻想にツイテいけなくて、かなり精神的に苦しんだよ。アンタの母親は、生理的におばあちゃんに全く愛されていないうえに、その幻想を何の疑いもなく丸飲みしてしまったから、人生が破綻してしまったのよね」
あわほ:「優等生憧れ幻想って、そのまま丸飲みすると、何にもかも(本人にとって不要なモノまで)欲しがる衝動に直結するから、危険・有毒そのものだよね」
アスペな叔母:「ほんと、そうなんだよね。うんうん!!」
ーー
結論:このあわほにとって人生最大の救いは、Yちゃんが自分の叔母であったこと。両親はメガトン級のモラハラ・パワハラ・き○がい。でも、そんなうちの母には、斜に構えたものの考え方をする、優等生キャラには程遠く、一見根クラにみえるアスペな叔母がいた。こうみると、反優等生も、人の目には見えないながらも、
ぽちっと社会貢献をしているのである。(この叔母が世の中に存在しなかったら、あわほは今ごろ発達障害の二次障害どころのハナシでは済まなかったであろう)。
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